バレエについて語る事。
この時間が1番楽しい。
何歳になっても形を変えて私の前に現れるバレエは原型があるようで留めてはいないかのよう。
ピエール・ボーシャンが考案したバレエのポジションやワガノワメソッドは今や世界中に普及され、その歴史を感じられるところだけれど、その内実を理解してる人は限りなく少ないし、私も結局のところ薄っぺらな知識しか持ち合わせない。
そんな中、ノーテーション、つまり舞踏譜を会得して人と話す機会があった。
バレエのあらゆる動きを音楽の楽譜のように表す。
途方もない作業…。
そんな自分の知らない知識の話を聞けるのは
「私は知らないという事を知っている。なぜか。」
と言う振り出しのような問いに戻される。
バレエをはじめ舞踏は奥が深すぎてこんなに長くやってるのに本当に薄っぺらい知識で情けないと思う。
人は…
学ぶと言うことを止めてしまったら、
思考を止めてしまったら、
そこからの成長はない。
だからこそ、ダンサーまたはバレエに携わるものの端くれとしてはそこにしがみつくべく、学びを辞めてはならないと思う。
それは50歳に近い私のような中年でも同様で、学びというのは一生涯続くというものだとその人との話から学ぶことが多かった。
昨年、大学で舞踏譜についての授業を受ける機会があった折には、アジア系の子が自分の国のダンスは伝統舞踊として体現して継承されている。
それを舞踏譜のような記号にすることで、その「心」が奪われてしまう旨の発言を授業中にしていたののだけれど、それぞれの立場、状況、伝統を語り継ぐ者ととしてか否かでそれぞれ舞踏見解が異なってくる。
文化、時代を解釈していく事はダンサーにとって欠かせない要素の一つなのだろうと改めて思う。

