日本の出生数減少と優秀なバレエダンサーを育てる技術の発展。
これが何を意味するのか…。
現実を見ることの大切さ。
海外では自分の意見を持つことは当たり前。
それがたとえダンサーであったとしても、同じ事。
逆に日本人のように何も言わず、
「うん、うん」「はい!分かりました!」と、笑顔で頷いているだけだと、本気の馬鹿なのかと思われるし、「利用しようとする人」のいいカモになるかもしれない。
踊れるのが幸せだからお金はいらない!では職業とはならないのが一般的な感覚だと思う。
超お金持ちじゃなくていい。
生活がちゃんとできる、生きていける収入を得る。
ただそれだけ。
日本のバレエ界は…、
先生は神様的な要素が強かったりする。
もちろん全ての教室ではないけれど、それこそ、宗教のように献金、貢物、ピン札使用、同じ目線で話すことの禁止、など意味が不明なものも多い。(ひどい場合はカルト宗教のような…)
私の時代に誰も聞いた呪文の言葉。
素直に話を聞く。
そうじゃないと、
バレエは上達しません!
という先生も多い…。もちろん全部の先生じゃないけど、多分、こう言う先生は多い。(特に私の子供の時はそういう先生以外会ったことなかった。)
(一理あるかもしれないけど、先生は絶対じゃない。)
そして多いのが、永遠のバレエの先生助手…
少なくない。
先生助手…舞台で踊る事もあると思う。でも誰がどの人達の生活を支えてる?
先生がまともな給料払って,福利厚生まで面倒見てるとは到底思えない。30、40歳になって、更に50歳の先生助手だって平気で存在する日本のバレエ界。バレエ団のミストレスとかとも違う。
もちろんご実家がとても裕福でお金を稼ぐ必要がないバレエの先生助手の方もいるかもしれない。
でも、キラキラに見える日本のバレエの世界、バレエ助手っていう立場では生活ままならない人も多い現実。
一般的な社会でも同じ事が言えるけど、人間を縦列の関係で見るか、横の関係で見るかで人となりがわかる。
バレエ界の先生たちの多く(私の勝手な感覚だと9割以上)は自分と生徒または先生助手の関係を縦の関係で捉えている人がとても多い。
人間を縦の関係で捉えると言うことは時として相手に対して横柄であったり、高圧的である場合が多い。またはそういう態度を見せていない場合もあるかもしれない。(一般企業にもこう言う人は多くいるとは思うけど。)
だからこそ、先生への献金等がなくならないわけで、先生に異論を唱えることなど御法度だったり、バレエ教室によっては下っ端の保護者(入会したばかり)が直接先生と会話を持つことを禁止している(禁止とは多分書かれてなくて、暗黙の了解的に、先生助手か各グループの代表お母さんに相談して、そのお母さんが先生に話を持っていく)ところも少なくない。
なんで、先生と直接話せないかは先生が「忙しい」っていう言い訳以外に、ピラミッド上の構図を作った方が管理がしやすく、先生としての権威も強くなるというものから。
まるで、会社の組織みたいだけれど、そういうバレエ教室も少なくない。
なぜ、親たちが強く抗議しないか、自分の子供たちが楽しそうに通っているのを親のせいで壊したくないし、子供が大きく成長、上達しているのを見て取れれば母としてはそこに全てを注ぎたいと思う。(でも、金銭問題で家庭不和になっては元も子もない)
でも、それって一般的?というか、国際基準?
日本では当たり前かもしれない。
この気持ちは母親としては当然だと思うし、こんな事を書いてる私だって、もしも、娘のものすごい才能を見出して、その才能を引き出してくれるバレエの先生に出会ったら他のママ達と同じように全てのものを投げ打つような行動に出るかもしれない。
人は当事者になるか、第三者として話すかで大きく異なる。理解度も。
でも何も知らない若いお母さんたち、新規のお母さんたちからしたらびっくり仰天のシステムだらけに違いない。
もちろん保護者の中には愚痴ばかり言う人もいて先生の時間を本気で削り取ってくる
いわゆる
モンスターペアレントだって一定数いる。
だから、そう言う場合の対策としては先生と直接話せないシステムは機能するけれど、ごく一般的な親が何かを先生に相談したい時に直接話せないのは先生を神聖化しすぎているなぁと感じる。
先生は神様ではない。
完璧でもない。
それでも昔ながらの「芸事」の風習を引きずってる日本のバレエ界は茶道や生花の世界に似てる。
礼儀を重んじるのは悪い事じゃない。
でも、バレエはプロになれば、茶道や生花と違ってお稽古事じゃない。たとえそれが子供の頃はお稽古事であったとしても。
エリアナ・パブロワに日本人がバレエを習い始めた1924年にバレエを習い始めたのは憶測だけどきっとご子息,ご令嬢だけだったに違いない。
それから100年経った今、何が変わったかと言うと月日が流れただけで、日本のバレエ界のシステムはほとんど発展していない。
今あるバレエ団の多くもそのお弟子さんの先生方が作ったものを継承しているから、チケットノルマや団費が100年後の令和でも「良し」とされている。
かなり余談だけど、1924年にバレエが日本に入って来た時、私の祖母が生まれた。
つまり、大正時代。
大正時代から昭和初期に作られた各バレエ団のシステムを令和の今でも擁護する声が多いし、変えようとする大人がほとんどいない。
例えば昭和初期にできた会社がほとんど中身を変えず、令和の今でも同じシステムで運営してたら今の社会で生き残れるのか…。
日本ほどバレエ熱がないフランスバレエでさえ、常にアップデートしてる。
1997年に新国ができたものの、ダンサー全員が収入を得られる形のバレエ団にはならなかった。
でも、ヨーロッパ各国の国立バレエ団では2025年現在、プロとして舞台に立って観客に自分の踊りを披露して収入を得る。
当たり前のこと。
だからその収入や形態に不満がある場合は自分たちの主張としてストライキだって起こす。
権利だから。
でも、
日本のバレエの先生たちは生徒が言葉を持つ事を嫌う人が多い。
どうして?
自分達の思い通りにいかないと不都合な事が増えるから。
もしも、
今教えているとて可愛がってる子達が数年後に自分の教室の近くにバレエ教室を開いたら?
それを両手広げて歓迎してくれる先生はいるだろうか?
この少子化の日本でただでさえ子供達が減って来ているのに。
その上、
他のダンスに興味を持つ子が増えて来たというのに、新規の生徒をどうやって獲得する?
既存の先生が自分の教え子の教室を
潰しにかかるかもしれない。
自分の生活を守るために。
もちろん、前提として、バレエ先生全員がが悪い人達じゃない。
良い先生も多い。
けれど、実際、そういうものを私自身も見て来たし、バレエを本気でやってる人なら、理解できると思うが、バレエの先生もバレエダンサーを目指す子も気が強い。
そうじゃないと生き残れない世界だから。
何かを変えるという事は恐ろしく勇気のいる事だったりする。
そもそも疑問を持つという事自体をよく思わない人もいる。
でも、今の日本の社会状況でバレエダンサーだって立ち上がらなくちゃいけない。
言葉を持たなくちゃいけない。
何のために?
自分の生活のため、生きるために。
疑問を持つ訓練をするには生徒が自分の力で考える事を学ばなくてはいけない。
イエスマンになって、30歳、40歳になっても自分の先生のお弟子さんを永遠にやり続ける「助手のバレエの先生」にならない方がいい。(自分の本当にやりたい事だったらもちろんいいと思う!私がとやかく言うことではない。)
前述通り、実家が大金持ちならもちろん自分の好きなようにすればいいし、自分が先生のためのボランティアでやり続けたいなら話は別だけど、基本的にまともな給与はでない。
福利厚生もない。
もし、独立して近くに稽古場を建てたら、それまで可愛がってくれていた先生が鬼の形相になるのは覚悟しなくてはならない。
だから自分で考える力を持つ勉強をしてほしい。
学校の勉強に限らず、大学まで行け!というのではなく、考える力を持つ勉強を。
本を読んだっていい、
色んな人たちの意見を聞くのもいい。
とにかく未来のダンサーが自分で道を切り開ける術を自ら開拓できるようになってほしい。
そして、数年後、または数十年後、現在のバレエの先生達が自分の育てた優秀なダンサーがやがて地元に帰って来てバレエ教室を開くようになってもそれを咎める事をせず、月日の自然の流れ、元生徒の大きな成長だと思って受け入れてあげてほしい。
なぜなら、後進の育成というのは教えてくれたその人を超えるという事だから。
自分たちが精魂込めて、育てた子達だから。
多分、世界一のバレエ人口を誇る日本のバレエ界は、他国が経験した事がないような段階に入ってくると思う。
国立のバレエ学校が存在しないこの国でバレエに携わる全ての人が、それぞれの立場で物事を考えられる、環境を変える力を持ってほしい。
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