今日やっと1つの試験が終わって気分的にも軽くなった。
この筆記試験のための勉強で今週はクラスメイトが半分くらいしか来ていなかった。
けれど、今週はまだ金曜日、土曜日も授業。
そして来週もフルで授業…。
クリスマスは限りなく遠い…。
そんな今日の筆記試験は「現象学について」書く。
制限時間、3時間。
3時間は、丸々授業の時間でその時間かけて「体」と「身体」の違いを現象学に当てはめながら真っ白な紙に好きなだけ書く…。
これがフランスの大学の筆記試験のうちのある一例。
ハッキリ言って日本人の、日本の教育だけをほぼほぼ受けてきた私にはキツイ。
しかも、メルロ・ポンティ以外のフランスの哲学者の著書も引用しなくてはならない。
事前に授業で学んだ様々な論文を読んでそれを脳内でまとめ上げてフランス語で書く…。
あくまで、ダンス科。。。
そして、
来週は大学の子と2人で口頭論文。
こちらは「民族誌学者の著書による権威」。
つまり、ヨーロッパの植民地時代とその土地古来の人々との関係性がどうであったか書かれている論文を読み解かなくてはいけない。
たとえばイロコイ族と言うカナダの五大湖周辺で暮らしていた民族がヨーロッパ人が侵略する前と後で暮らしがどのように変化したかとか。
1500年に100,000人いたイロコイ族は1750年頃には12,000人まで数を減らした。
理由は…
ヨーロッパ人がもたらした病。
絶対それだけではないはずだけれど、その著書には主な理由として「新種の病」とあった。
免疫がなかった彼らはヨーロッパ人がもたらした「新種の病」で集落全滅するほどの壊滅的な被害をおった。
1700年代初期からはそういう土地由来の民族を観察しようとする民族誌学者が出現したが、
- ヨーロッパ人らの目線から描かれる民族誌が果たして、民族誌として妥当であろうか?
- 民族への理解とか敬意を持った形態であったのだろうか?
- それは果たして一方的なものの見方ではなかろうか?
と言う問いについて書かれている著書を読み取り、何を著書が伝えたいのかを生徒の前で発表するのが来週の口頭論文。
私達の課題となる著書には異なるタイプの民族誌学者が登場する。
土地古来の民族の言語を習得して、その民族の中で2年ほど一緒に暮らすタイプの学者や全く外から観察だけをし、話す時は通訳を介すタイプの学者。
ヨーロッパの産業革命により、写真という技術が現れるとそれで彼らの習慣をフィルターに収めようとする学者も現れた。
しかし、この「写真を撮られる」、「写真を撮る」。
つまり、受動的か能動的でやはりものの見方が変わってくるのも否めないと言う筆者の理論展開。。。
それは植民地支配者からの目線であり、そこに「平等性」と言う文字はない。
今日の「現象学」が終わっただけで、少し気が緩みそうだから自分への戒めのためにこの文章を書いている。
文章を書くことで自分の理解がいかに浅はかなものかを思い知ることができる。
今、フランスに多くいる正規移民はそういう植民地時代の影響が色濃く残っているからこそフランス人としてフランスに移住しており、私のようにバレエのことが勉強したくて…と言う移民は比率的に圧倒的に数が少ない。
フランスにアフリカ系移民が多いのはアフリカの植民地が多かったからであり、イギリスにインド系の移民が多いのはインドが植民地だったから。
長い歴史の中に現在の私たちは存在し、その影響がその先何百年後かの私達の知らない子孫に及ぶ。
それは、現社会を生きる私達が、私たちの生まれる数十年、数百年前に生きていた人々の判断や行為に大きな影響を受けている現社会を生きている事でも分かる。
戦争責任とか、植民地支配の責任とか、今の若い世代のそれぞれの国の人たちの行ったことではない。
しかし、その政治的責任を課せられるのが歴史として学んだだけの、自分はその時代を体験していない若い世代。
歴史責任と言うのは人間の歴史の中で繰り返されて来たものだから、今に始まった事ではないけれど。
日本のバレエ界で言えば、日本にバレエがもたらされた100年と言う歳月の中で、その後、戦前戦後を得て、裕福な家柄のご子息、ご令嬢の間で広まった踊りと言うのが多く浸透し、
「稼げなくても舞台に立てるだけで幸せ」
という概念で成立している。
それは生活を支えてくれる裕福な家庭がバックについていればこそ言える話。
私の子供の頃はバレエ団付属のバレエ教室で主役をやる際は100万円という話も聞いたことがあった。
もし、それが払えなければ、他の子に…
だから、親は無理をしてでも子供の発表会の参加費として100万円を用意すると。
そう言う
「踊れれば幸せ!お金よりもやりがい、生きがい。」
という「やりがい搾取」的な概念が蔓延している今の日本のバレエ界。
現社会の私達がこの流れを変えようとしなければ、今後100年内に変わる事があるのだろうか。
この負のバトンとも言える、特に女子が収入を得られないのは当たり前と言う現状を未来永劫、常態化させていくのか。
いつの時代に、日本のバレエで優秀なダンサーたちが、トップにならずとも収入を得、ささやかでも自らの給料、収入で生活ができるようになるのか…
先日、海外で活躍する日本人ダンサーが、日本語で、そのご自身が所属する海外のバレエ団のために資金援助してほしいと訴えていたが、まさに現在のバレエダンサーは海外では「職業」。
日本語で書かれていたと言う事は、多くの日本人に向けてのメッセージだったのたと思われる。
日本人でも海外でバレエダンサーとして働いている場合は、当たり前に収入が必要となるし、日本にいる親から仕送りしてもらいながら海外でバレエダンサーをしている人はゼロではないかもしれないかもしれないが数は限られる。
ご子息、ご令嬢ばかりではなく、自分の人生を有益なものにするために、バレエを仕事として魂を売って打ち込んでる人たちも少なくない。
ノルウェーでプリンシパルとして長年活躍された西野麻衣子さんのご両親ように、家や車を売って娘の未来にかける家庭もなくはないと思う。
彼女の場合、その後、自分で稼げるようになったからこそ、「あの時…」と言えるのではないだろうか。
もし、両親が子供のバレエのために一大決心をして、家や車を売り、子供が海外で就職もできず、羽ばたく事ができず、日本に戻ってきてもバレエにしがみついて、親の収入を頼っていたら、その後、親はどこからお金を工面して子供のバレエのために支払い続けるのだろうか。
日本のバレエ界の言葉が強い方の多くは男性。
「稼がなくてもバレエをできていることに感謝をすべき」
という意見の多くも男性が多い。上記の民族誌学者の一部がそうであるように、一方的な見方でものを捉えてる場合が多い。
つまり、
「踊れてるだけで幸せ」
「バレエは芸術であり、稼ぎを目的にするものではない」
「憧れの舞台に立つ時間への感謝」
「バレエは夢、人生の意義」
「バレエにお金を求める奴は卑しい。」← という男性の方の意見を目にしたことがあるが、極論で言うと、パリ・オペラ座バレエ団で以前行われたストライキは賃金アップが目的のストライキだったから、パリ・オペラ座バレエ団員は考え方が卑しい。ということになる。
でも、そこを目指している
日本の若い子たちの多いこと!
矛盾。。。
男性の場合、指導者として、パドドゥの相手として女性よりも日本で収入が得やすいのは明白である。
それに男性はトウシューズを揃える必要がない。人によるけれど、毎日の美容に女子ほど気を使う必要もないかもしれない。
その点を踏まえて、先生たちの意見に惑わされないよう特に、女子のバレエダンサー本人や女子の保護者は考慮する必要があると思う。
ただ、お金に何も不自由ない人たちは話がまた別で、それは私が口を挟むところでは毛頭ない。
また、考えなくてはならないことの一つとして、
現社会において、日本のバレエダンサーは海外において働く場合、「移民」となり、収入を得るという事実を忘れてはならない。
海外で働くバレエダンサー!
キラキラした響きの裏にその国の「移民」となる事実。
移民として日本以外の国に住むということは、それなりに苦労も多いことを留意すべきであろう。日本の常識は通用しない世界であることを。
日本の一般常識が海外では同じ常識としては成立していない。
日本の若い子たちの中には、憧れの地で踊りたい!という子もいるだろうが、中には日本に留まりたいが、「収入が得られる仕事」として考えた時に選択肢がほぼないから海外に行くという子達も少なくないと思う。
「移民」となる以上、他の国から来ている「正規移民」と何ら変わりはなく、ビザの更新という役所仕事、賃貸契約などその他諸々の生活にまつわることを大人として、他国の「移民」が行なっている事と同じ工程をその国の言語、運が良ければ、英語で辿らなくてはならない場合が多い。(もちろん日本人のスタッフが手伝ってくれる場合もあるとは思うが。)
上記に書いた300年前からの植民地支配の影響で異国から来ている人たちと同じ「移民」ということを忘れてはいけない。
「不法移民」でなければ、「正規移民」となる。
それは、バレエダンサーという極めて才能と技能と身体条件と努力など、ありとあらゆる自らの力を発揮しないとなれない職業だとしても「移民」として海外に住むということは、自国で生活する以上に労力がいる。
私も先日、「正規移民」としての10年ビザを取得したのだが、正規移民として受け入れられたと言うことは「日本人」としての行いとか、自覚とかそういうものも今まで以上に持たなくてはいけないと思う。
(フランスには年間10万人以上の不正移民が検挙されている事実がある。つまり、特にパリのような大都市の不法移民者数を正確に把握する事は難しいが、検挙された不法移民の10万人の上位10ヵ国はアフリカ地域からであった。2025年の情報)
私の場合は20年以上日本でバレエの先生という恵まれた仕事をしてきて、その後自分の意思でここに来た。
自分で理解した上で「移民」という道を選択した。
ここで自分の見聞を深め、日本のバレエ界がヨーロッパやオーストラリアのバレエ団のように最低限の収入を得るのが「社会人として当たり前」という感覚をもてないものかと探究している。
いまだに日本の世論には
「バレエは所詮、男性への見せ物だったという歴史の中に成り立っているから、稼げなくて当たり前。」
「稼ごうと思う方が勘違い。図々しい。」
という意見があるのも最近、散見できるのだが、そういう誤った理解もバレエに対する理解が乏しいからに他ならない。
多分、ロマンティックバレエ以降のフランスでバレエが低迷していた時期の、ドガが描いた「踊り子」の時代の裕福な男性が若い美しい女性を…と言う時代だけを俯瞰したつもりで語っているか、キャバレー的な要素というニュアンスで物事を捉えているか…
しかし、そう考える日本人は、少なくないのだと思う。
後、数週間で2026年になる現在でさえも。
収入を得られないということは
職業としての地位をも下げうる
という事実に直面していることも忘れてはならない事実の一つだと思う。
私が来週行う口頭論文の著書の見方のように、植民地支配者からの見たその土地古来の民族の慣習に疑問を呈するように、私自身も今ある日本のバレエ界の「稼げなくて当たり前」と言うものの見方に疑問を持ち続けている。
ともあれ、フランスの超有名キャバレー「ムーラン・ルージュ」は海外からダンサーになりたい男女が殺到する人気な最低限でも収入が得られる「職業」の一つではある事を記しておく。
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