
その19
バレエは探求し続けないと何も得られない、と凜は思う。
バレエに惹きつけられるのは目標が次から次に出て来て、先へ先へと続いていって頂上が見えないからそれが面白い。
今も、そう。
昨日の反省点を生かして先へつなげようとしている。
「あっ!待って!これって、私の未来に繋がってる!」
急にそんな風に思えて力が湧いてきた。
あれこれと思いを馳せ巡らせている間にコンクール会場が見えてきた。時計を見ると予定通り、9時ちょっと前。すでにもう10数人の列ができていた。
「凜、先に降りて、列に並んでおいて!私車止めてくるから。」
ママはそう言って、会場前のエントランスでハザードランプを付けて車を止めた。
「昨日ほどは混まないんじゃないかなぁ・・・」とぼやきつつ、車を降りて会場入りをする列に加わった。
一人で待っていると近くにいる人達の会話が聞こえてくる。
「高野恋ちゃんの踊り昨日見た?スワニルダ1幕踊ってた… 」
「見た、見た!やばかった!同じくらいの年には見えなかったよ… 」
「しかも、先生付き添いなしだったよね?すごくない?」
「慣れてるんだよー。うち無理だなぁ。先生いないと… 」
「うちもー。」
凜は聞き耳立てながら、「ああ、昨日超絶すごい子いると思ったあの子が高野恋ちゃんなんだ!」と納得した。
昨日、練習室で見かけてオーラの違う子を見て、すごい子がいると思っていた。その時も思ったけれど、凜より1学年上で日本のトップをひた走る彼女との差を感じずにはいられなかった。
いつもバレエ雑誌のコンクール欄で見る彼女。もう、感想ないんじゃないかと思うくらいしょっちゅう1位受賞者としてコメントが掲載されているから一方的によく知っていた。
というか、凜だけでなく、同年代のバレエをある程度一生懸命にやっている子なら皆知っている名前だった。
今日も彼女の踊りが目の前で見られるんだ!というワクワク感が凜のモチベーションをさらに上げた。「中学生になったらもっと自分の身の回りのことをきちんとできるようにしなくちゃいけないんだ、先生いなくても… 」と思ったら思わず寂しさに包まれるようだ
った。なんだかんだ、ナナ先生に甘えているところを自分でも認めざるを得ないのは自覚していたから。
その20
ザザーっと、周りにいる人達に動きがあった。一気に会場になだれ込んでいく波に凜ものまれた。足早に昨日と同じ場所を確保して、レジャーシートを広げた。コンクール会場にはレジャーシートが欠かせない。それで自分のエリアを確保しておかないと、ストレッチをする場所やメイクをする場所がなくなってしまうからだ。できればメイク用のイス二脚とテーブルがあった方が良い事も心得ていた。
荷物を広げてママと先生を待っていると二人が並んで入ってきた。
「凜ちゃんおはよう!」
ナナ先生の元気な声が響き渡った。
「調子どう?」
「はい… 」ハニカミながらそう答えた。
「何?はい、って?答えになってないんだけど?」
「大丈夫です。」
「なーに、その答え?足の調子はどうなのよ?昨日あれだけ目を真っ赤にして人に心配かけてたのに!」
ナナ先生がいたずらっぽい目でこちらを見ている間中、隣にいるママが呆れたような顔をしてこっちを見ていた。
「まあ、いいや。メイクするからこっち来て。」
それから先生が手早くメイクをしてくれて時計を見ると、あっという間に9時半になっていた。周りの子たちは既にメイクをし終えて会場入りしてくる子達も多く、凜は
「このメイクで外歩いたり、電車乗ってきてるんだぁ!その勇気… 、まだ… ないな。」などと、心の中で呟いた。
急いでトウシューズを履いて足慣らしをする。
「場当たり15分で、出順までの時間もあるから、慌てないで!」
「はい。」
ナナ先生の言葉にいよいよ決勝だと改めて思い知らされた。周りを見渡すと上手そうな子ばかりいる。「決勝だから当たり前か… 」と思うものの怯みそうになる自分がいる。
「大丈夫、自分がやったことを出し切るだけ!今日は出来る!そんな気がするから!」
根拠のない自信が凜を後押しした。
衣装を着て、鏡に自分の顔を映し出す。控えめなピンク色のイヤリングを付けて、ライトブルーの身ごろにライトピンクのロマンチックチュチュを着た自分の姿は悪くないと思えた。
「うん、大丈夫、私。」心でそう呟いて、先生の様子を窺った。先生もこちらを見て目で
「行こうか」と促したので軽く頷いてみせた。
後方から
「では、宜しくお願いします!凜、頑張ってね!」と言っているママの声が聞こえたが、
これも軽く頷くに留めて前だけを見つめて先生の後に付いて行った。ここから自分の出順までは先生と二人きりで最後の調整を行うから、ママに会えるのは全部終わった後。どんな形にしても後悔のないような踊りがしたい!ただのその一心だった。
袖にはすでに多くの出場者たちが舞台開放を待っていた。
その21
「あ、はい。」
気持ちを仕切りなおして、昨日先生に言われたところ、場当たりでの指摘箇所を丹念に反復した。その都度ナナ先生の
「違う、そこはそうじゃなくて、もっとこう伸ばして。」
とか、「違う、違う、首筋から手のラインの入り方がおかしい。デコルテラインをもっと美しく見せなくちゃ!」と言った指示が飛んだ。
あっという間の10 分間だった。今日も練習室にいた恋ちゃんの動きをまじまじと見ながら筋肉の動きの柔らかさに見惚れてしまっていた。汗を拭っていると
「そろそろ行こうか?」
と先生が言うので、そのままシューズカバーを履いて再び舞台袖に向かった。
既にコンクール自体は始まっていて、もうすでに14 番目の子が終えたところだった。
凜は25番だけれど、決勝進出者の中で数えると全体の10 番目。だから、後、2 番で凜の番という事になる。
「うわー、ぎりぎりだったね。審査員紹介あるからもっと余裕かと思ってた!」
とナナ先生が、わざと慌てた様子で言った。
「その分練習たくさんできたから、本番大丈夫ね!」そう言った先生の威勢の良さに思わず、こちらも苦笑いしてしまった。
「さっき見た高野恋ちゃんのような動きが私にもできる!きっとやれる。」
凜は何度も練習室で見た彼女の動きを頭の中で繰り返し思い出しては自分の動きと重ね合わせようとした。
そうこうしているうちに凜の2 番前の子が終わった。大きく深呼吸しているとナナ先生が背後から囁くような声で
「思い切り楽しんできてね。スワニルダになりきるんだよ!朝の空気に劇場を変えてごらん!」
と言って、音のきっかけを出すために舞台監督さんたちがいる下手に向かった。
後ろは振り向かず、コクンと頷いて次の自分の番号になるまで集中力を高めた。凜の番になり、曲名がアナウンスされるのを聞いて大きく息を吸って舞台に降り立った。
そこからは昨日の悔しさを晴らすように、更にさっき見た恋ちゃんのように!と思いながら、体が動くままに、そして心が動かされるままに踊った。最初の音が鳴りだして踊りだした途端スワニルダになりきった自分がいて、それ以降はもう何も考えてはいなかった。
気づいたら音が終わっていた。幕の中に入ると、ナナ先生がそこに何とも言えない表情で待っていた。
「私、どうだったんだろう。」
一抹の不安が凜を包み込んだ。ただ体が、心が動くままに踊るという経験は初めてだった。自分でもびっくりした。ただひたすらスワニルダだった。
「凜ちゃん!どうしたの?まるで別人だった!」
声を潜めてそう話した先生の顔は本当に驚きを隠せないような表情で凜を見つめていた。
「あ、CD と記念品もらって。」歩いて舞台袖から去ろうとしていた凜たちにCD 返却係の人が声をかけてくれた。
「あ、ありがとうございます!」
CD を受け取って、シューズカバーを履いて廊下に出た途端に先生が再び言った。
「凜ちゃんの踊った中で、今日の踊りが一番素敵だったし、あそこまで感情移入して踊れるようになったの見て私感動しちゃった。」
先生の顔を見るとうっすら目に涙を浮かべていた。
凜はなんて答えて良いか分からず、ただ嬉しくてニヤニヤが止まらなかった。
控室に戻るとママもハンカチであふれる涙を拭っていた。
「お疲れ~。」
一言だけ凜にそう言ってから
「先生、ありがとうございました。」
と更に涙を浮かべながらママが言った。
「私も感動してウルっと来ちゃいました。」
といった先生もハンカチで涙を拭っていた。
「まだまだ足りないところはいっぱいあるけれど、なんか今日は日頃の頑張りの成果が見れた感じで本当に嬉しいです。結果はともかく、凜ちゃんよく頑張ったね!コンクールでこうやって出し切れるようになったって凄いことだよ。明日からの練習はさらに自信もって気持ち切り替えて出来るね!」
「はい!」
凜はもうこれ以上はないという笑顔で答えた。
「私、今日はこれで帰りますけど、また結果教えてください。」
「はい、遅くなると思いますけど、お知らせします。ありがとうございました。」
ママはまだ涙を拭いながらそう言って先生にお礼を言った。
先生が帰った後の凜は忙しかった。
急いで、衣装を脱いで他の出場者たちが踊るのを見に行った。小学生部門の後は中学生部門。憧れの高野恋ちゃんの踊りが見たくてうずうずしていたのだった。
いざ、彼女の踊りが始まると凜はそれまで感じたことのないような感覚に陥った。ハッキリと自分が恋ちゃんの空気感に吸い込まれていくのを感じた。歩いてきて板付きした瞬間から、存在感に圧倒された。
