それでもバレエがいつも支えてくれてた
4年生で始めたバレエ。幼い時はローザンヌを見たりして多くの夢を抱いていたけど、O脚に加えて骨盤が寝ている超日本人体型の自分が全くバレエに向いてない事に気づくのにそう時間はかかりらなかった…
幼少期
当時の有名な先生の講習会に片道3時間かけて足繁く通ったり、バレエ教室を二個掛け持ちして(今じゃちょっと許されないこと!35年前、当時のお教室のレッスン回数が最高で週3回だったからもっとレッスンするために。)発表会も年に2回と言う年があったり、とにかくバレエ漬けの日々。
特に中1の時は内気が災いして学校に友達がいなくて、バレエ教室だけが自分の居場所だった。
誰よりも稽古場に早く行ってストレッチしながら前のクラスを見学して、たまには小さい子達のお手本をやったり。
当時は今のようにコンクールが多くなく、むしろバレエの舞台に出させていただく機会が度々あって、今はなき青山円形劇場で踊ったこともありました。踊る事が私の人生で一番キラキラしてると思っていました。
バレエの道を断とうと思って決めたデンマーク留学でバレエ🩰
高校生
当時習っていた先生の旦那さんに「下手くそ!」とか、「覚えが悪い!トロYoshiko!」と…
精神的にやられ始めていました。(ご贔屓の子にはとても良い先生だったし、指導は上手かった。)
それで、
🇩🇰デンマークに留学したのもバレエじゃない道を他に見つけないといけないと思ったから奨学金を得て、海外語学交換留学で現地の高校に通いました。
でも、語学や文化を学びに行ったのに結果的にはバレエ漬けの日々。
しかも、バレエを頑張ってるからと言う理由で、現地の留学機関の方が善意でプラスの奨学金のような形でレッスン代を出して下さった!そして帰国前には通っていたのは小さなバレエ教室だったけれど先生から発表会の主役をオファーして頂いて驚きました。(結局、留学機関のスケジュールとの兼ね合いで発表会に出れなくて泣きました。)
高校卒業後、バイトしながら…
その後
デンマークでやっぱりバレエが好きな事を再確認したけれど、日本でのバレエ界の現状と向き合った時、O脚がひどいし、元々プロになれるレベルじゃないと感じていた私はバレエの先生になるべく、バレエの専門学校に通いました。(当時はバレエを学べる大学がなかった!)
専門学校でクラシック、コンテ、キャラクター等をやった後、夜は地元のお教室でまたバレエ!
一日6時間以上踊り続ける毎日が幸せ。
それから、これからの時代はパソコンだ!と思い、パソコン屋の販売員(Windows98が出た頃!)のバイトをしながらバレエを続ける日々。職業訓練校でもIllustraterやPhotoshopを学ぶ訓練校に行き、食いっぱぐれないための道を模索しました。
でも幸い、私の場合、時代の助けもあってバレエを習うのと同時に、教えも少しずつ始めるチャンスに恵まれました。人がいないからここで教えしてくれない?と言うところにはどんなに遠くても赴きました。
でも、身体が思うように効かなくて悔しい思いをすることも1度や2度ではなく、大人になってからもそのバレエスタジオを離れるまでは先生からのイジメもあり、挫折だらけのバレエ人生でした。
習い事なのに、何でこんなに辛い思いしてまでバレエやってるんだろうと…
でも、バレエが好きだったというものすごい矛盾。。。
結果的にバレエの先生を20年間以上日本のバレエ界の中でやってきましたが、生徒を連れてコンクールに参加した時もコンクールスタッフとして仕事をしていた時も舞台袖で何度も当時のバレエの先生と出会ってしまう機会がありました。その度に当時の悲しかった時のことが思い出されて、動悸が治らないのを年数で乗り越えてきました。
だからこそ、
今を生きる若いダンサー、若いバレエ講師の方々が生活しやすくなるような手段をここフランスで見つけられないか考えて行きたいと思っているんです。
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