🩰日本のバレエ界で生きてきて〜根拠のない自信を持って〜

根拠のない自信と運(チャンス)を逃さない

20年以上もの間バレエの先生として地域に根付いた活動ができたのは私のバレエの技術というよりも根拠のない自信と運が味方してくれたことが大きいと思います。私の「踊りの技術」だけ考えたらバレエで食べて行くことは到底できなかった(もちろんバレエ指導は自信はあった)。

運がなければ生徒さんを集める事ができない。キレイ事ではない、実力だけではない世界です。

どんなに素晴らしいダンサーだったとしても、海外でのプロバレリーナとしてのキャリアがあっても、タイミングや運が悪ければ今のこの日本の状況下で生徒さんは集まってくれません。

私よりも上手なダンサーは何百万人もいるけど、私がバレエの先生をやれているのは諦めずに、自分を信じてチャンスを逃さなかったから。

と、よく生徒たちに話していましたが、時代が味方してくれたのも確かです。チャンスを活かせるかどうかは自分次第で、どんなにバレエが上手でも諦めてしまってはチャンスが掴めない。雑草のように粘り強く、種を蒔いて広げていくしかない。

エモーショナルな業界で生きていくのをどこで見限るか(辞め時)がとても難しいです。

バレエの先生として

これからも続けていくものだと自分でも思っていた。

子供が大好きで、特に子供達のキラキラに輝く目が好き。

人生は真っ直ぐな道じゃなくて、いつも分岐点があって、その度に選択を迫られる…。バレエの先生という一般的ではない仕事も、母子でフランスに移住するという道も毎回父の反対にあいながら自分で選んだ道で、今振り返るとそれぞれの点と点が繋がっていて、だからこうだったのかな、という事がよくあります。

バレエの先生として過ごした20年はものすごく幸せで、多くの人達に支えられてきました。色んな事があったけど、どんな時も信頼してくれる保護者と生徒達がいたから乗り越えられてきました。

保護者の協力あってのバレエスタジオ創り

元々2006年からバレエ講師として近隣の公民館などを借りながら活動してきてたけど、離婚をきっかけに当時の代表保護者が解体作業を一手に担ってくださり、レストランだったところをバレエ教室に。

普段は顔が見えない生徒達のお父さん達も加わって力仕事を!

お母さん達や子供たちがペンキ塗りなどを協力して下さり完成!

その後も生徒達とコロナ禍を乗り越えてきました。

人との出会いを大切にする。人間としてバレエ以上に重要なことだと思っています。

過去

極度の内股を治すために嫌々連れていかれたバレエ教室。そこで週2回のレッスンを始めるも、誰よりも身体が硬かった。同級生の4年生はすでにトウシューズを履いて自由に体を動かして踊っている!そこから少しずつバレエの魅力にハマっていった。バレエ以外何もしたくない(今もそうだけど…)と思って生きてきた。バレエが好きで好きで仕方なかった。

それでも現実は厳しくて好き=上手ではない現実💔

何度も挫折を味わった。身体的条件だけではなく、当時のバレエの先生からのイジメみたいなこともあって、精神的にやられてバレエは2度としない!と心に誓って遠ざかってた時期もあった。

バレエスタジオ経営者としての人生を終えて、次の未来

私のバレエ講師人生は2022年で閉じましたが、私の人生はまだ続きます。バレエをやってる人間にとって、引退後、リタイア後が一番問題です!

私は、自分の人生、いろんなチャレンジをしてみたかったのでこうやってフランスに来て2年間の大学生活を送りました。世界中の若い子達に混じって大学で勉強するのは本当に有意義で刺激的。

2年がものすごくあっという間に過ぎていきました。

これからの日本社会は経済状況の悪化、出生率の低迷など、人生は美しい事ばかりではないかもしれません。90年代と違い、バレエダンサー、バレエ関係者を取り巻く環境は厳しくなる一方です。

私はこれから少しずつフランスバレエの現状を学んで少しでも日本バレエの未来に貢献できる事がないか手探りで始めようと思っています。

道は険しいです。でも、私の大好きな教え子たちのためにも、日本の才能ある子達がバレエダンサーとして生活し、引退後も現状よりも努力が報われる形で生きていける術がないか…少しでも改善できるように探し続けます。