🩰🇫🇷パリ近郊で増えつつある移民の街と宗教とバレエ事情
クリスマス前の時期に、日本のバレエ教室で習ってる子の宗教上の理由でクリスマス音楽がかけられないとなったとしたら、それを日本のバレエの先生達は深刻に受け止めるのだろうか、はたまた大した問題ではないと捉えるのだろうか。
フランスではすでにそういう街のコンセルヴァトワールが存在する。
ちなみに、日本人でバレエダンサーを目指している人たちが入学希望するパリのコンセルヴァトワールは超別格で、地方にはバレエをはじめダンスを習えないコンセルヴァトワールもあり、ピアノなどの楽器をメインでやっているところも少なくない。
これからも多く移民、特にイスラム教圏からの移民を多く受け入れるような記事が多く出ている昨今、家族で移住する人たちも増えてくるかもしれない。そうした場合、日本でもイスラム教の子ども達がバレエをやってみたいという子が増えるかもしれない。
現在、少なからず、そんな問題が少しずつ出てきているフランスの現状を移民問題と合わせながら書き留める事にする。
今年の夏は南フランスで過ごした。
そこは、フランスは元々は白人が多い国だったんだ、と再認識できるほどだった。
普段はパリの近郊とは言わないけど、パリに行ける圏内で暮らしている私達家族、肌の色が違う人たちは特に村の一歩外に出れば日常茶飯事。
娘達が通う歯医者さんがある街もほぼアラブ系移民。建物はフランス風なのに、ケバブ屋さんが多く、小さなスーパーもアラブ系のスーパー。パン屋さんもアラブ系のパン職人、歯医者さんも名前がアラブ系。
だから、今のフランスのパリに日帰りで行けるような街はアラブ系、中華系、アフリカ系などの移民が多くなりだしている。
しかし、私達が滞在した村に至っては、多分この村の人たちは東洋人は見たことがないんじゃないか?と思われるくらいの目線が多く、私の宮崎の田舎の親戚たちを思い出さずにはいられなかった。(私の親戚は、私が若い時にデンマークの友人を連れて行くまで西洋人を見た事がない人たちが多かった。)
そのくらいの田舎に見える私たちが今夏滞在したフランスの田舎の村は、悪気はないけど、警戒心が強く、村で会っても私の住む村のような挨拶はない。逃げるようにして去っていくか、絶対に目を合わせないの連続だった。
でも、葡萄畑のある岩壁だらけの山に囲まれた人口200人ほどの村だから、外部者には抵抗があるのだと容易に想像が付く。
本当に、貴重な経験で私的には学びが多い夏休みだった。
でも夏休みを終えて、自宅のある村に戻ってくると人々の表情が柔らかい事にホッとする。
同じフランスの村だけど、外国人が入る余地がないような村もまだ存在するところもあれば、私の住む村のように、私のような移民に対して「ようこそ!」と言ってくれるかなり寛容な村があることが分かった。
移民の多いフランス、どんな田舎でもフランス人は外国人慣れしているのかと思ったらそうじゃないことがハッキリとわかる今回の旅だった。
ちなみに、私の村ではDROMと言うフランスのかつての植民地で、現在はフランスの領土になっている場所から来ているフランス人たちが多くはないが一定数暮らしている。
特にフランス本土全体を見ると、アンティル諸島(Antilles)と言うマルティニック、グアループ、フランス領、また、アフリカのマダガスカル島近くのレウニオンやマヨルカ島などから引っ越して来ているフランス人も多く住むが、私が今夏滞在したような村にはそういう住人もいないようだった。(中世時代から、またはもっと前からワイン作りのために葡萄畑開拓のために住み始めた人たちの子孫だけが暮らすような村。)
彼らはアフリカから来た移民とは全く別で、生まれた時からフランス人としての意識を持っている人たちがほとんどだ。だから、アンティル諸島出身者をアフリカ人と間違えると烈火の如く怒る人が多いと言う。
若い頃に、懲役制度のために軍隊や警察にいた夫は、仕事中、アンティル諸島のフランス人の方が、元々本土に住むフランス人よりもアフリカ違法移民に厳しかったし、そういう人たちが、アフリカからの違法移民に対して「国へ帰れ!」と言うのを何度も目撃したという。
そう言う時、夫をはじめとする本土の人間は口を挟めなかったと話していた。
私の娘達の友人も結構、お母さん、お父さんがアンティル諸島出身の人がいて話をするが、そう言う人たちはやはり話の中でフランス人としての誇りが高いと感じることが多いし、カトリック教徒が多いと言う。
しかし、移民としては昨今、アラブ系の移民、特にアルジェリアからの移民が多いフランス本土だが、それは1952年から1962年に行われたアルジェリアとの戦争によるところが大きい。

この戦争でフランスは敗戦した結果、敗戦後60年以上経った現在もアルジェリアに対してビザに対しての大幅な優遇措置があり、移民の数も最も高い。
夫の父は、やはり懲役でアルジェリアとの戦争で戦地に行っていたのだが、その当時の悲惨な話を聞くにつけ、胸が張り裂けそうになる。
戦争は勝った側が歴史を作る、負けた者はそれがどんなに悲惨であっても口出しすることができない。
そう語っていた。
義父の友人達も徴兵で一緒に戦地に赴いたが、その多くがアルジェリアの手によって惨殺されたという。
それでも、義父は言う。
我々フランスは敗戦国であるから、フランス人の残虐さは語られてもアルジェリア人のフランス人に対する残虐行為を語る事はできない。口を閉じるだけ。
口外は御法度だったと言う。
それは60年以上経った今もなお続き、フランス人が行ったアルジェリア人に対して行った惨たらしい話は公で聞かれてもアルジェリア人がフランス人に行った残虐さは語られる事はないと言う。
敗戦国は語る資格が無い。
そんなわけで、アリジェリアからの移民が多いフランス。
このブログでも度々取り上げているようにサン=ドニと言う場所は特に、アラブ系の移民が多い。
フランスでブルカは禁止だけれど、ここ、サン=ドニでは少なからずブルカの女性を見かけるし、カフェも女性の観光客の姿はあれど、ヒジャブをしているようなアラブ系の女性の姿は見かけたことが私はない。(パリなどでは多く見る。)
政権も極左の市長が当選し、警察も介入できない場所が多いと言う(数に負けた警察がパトカーに逃げ込んで走り去る様子がビデオの映像でたまに流れてくる)。
そんなアラブ系移民が多い街がパリ近郊には増えている。
私が先日、代行でバレエを教えに行った街もその一つ。
名簿を見ると、フランス系の名前はない。
アラブ系、東欧系、アジア系、アフリカ系。
フランスにベトナム人が多いのも植民地支配、そして1946年から1954年に起きた第一次インドシナ戦争の結果で、特にパリ13区の一部ではベトナム系移民と中華系移民が多く、フランス語はほぼ聞こえないエリアとなっている。
そんなわけで、生徒の名前を覚えるのがさらに大変だったのだが、そんな事よりもそこではクリスマス音楽が禁止であると言う事実を聞かされたのが衝撃だった。
もちろん、パリ・オペラ座バレエ学校やパリ・コンセルヴァトワールではあり得ない話だとは思うが、小さな街の移民が多い地区のコンセルヴァトワールではそう言うところがあるという。
また、フランスの一条校はヒジャブの使用が禁止だが、このような街のコンセルヴァトワールは公共の機関とは言え、一条校ではないため生徒がヒジャブをすることも認知する必要があると言う。
ちなみに一条校はフランスのシステムの中にある学校で、パリにある日本人学校などはフランスでは各種学校扱いとなる(日本でのインターナショナルスクールと同じ扱い)。
日本の中では
「イスラム教でバレエをやるなんてあり得ないんじゃない?」
と思う人もいるかもしれないが、フランスではすでに現実としてある。
また、だいぶ以前だが、オーストラリアの女性がヒジャブでバレエを踊っている。(このビデオではプロになったとしている。)彼女はデンマーク王立バレエ学校にも短期間のワークショップにも招かれていたりする。
また、この記事を書くにあたり、イスラム教徒のバレエ事情を調べてみると、イギリスのロンドンにもバレエ学校があるようだ。
日本だと、まだまだそう言う話は遠い国の話と受け止められがちなのかもしれないが、今後さらに増加する移民問題とともに、文化的な暮らしを求める移民の人たちがバレエ教室に通い出し、日本国内でバレエ教室を始めることも数十年後にはない話ではない。
日本のバレエの先生達は兎にも角にもバレエに熱心だから、保護者の意見を多く取り入れることも多くあるだろうし、クリスマスソングがダメだと言われたら、何の抵抗もなく、それに従うのかもしれない。
でも、今後宗教的な問題に直面した時にどのように対応するのか、頭の片隅にでも入れておくと時代の変化に慄く事が軽減されるのかもしれない。
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