🩰バレエ留学とIBは両立できる?国際バカロレアで考える海外バレエ留学

バレエ留学と語学または高校、大学留学を同じものではない。

以前から「バレエとIB」(国際バカロレア)のDPの取得についてこのサイトで語っているのだが、とうとう娘の学校(海外のボーディングスクール)にそれを体現するような子が入学することが分かった。

YAGPのファイナルにも出場したことがあり(結果等は聞いていない)、どうやらロイヤルバレエスクールの短期スカラーももらっていて、最近の自分のバレエ教室の発表会では白鳥の2幕のオデットのパ・ド・ドゥを踊っている洗練された肢体、長い手足、美しいアラベスクの写真…。

国籍は日本でもアメリカでもない。

派遣される国は彼女にとっても未知の国。

そして、

娘の学校ではIB教育の一つの重要な科目であるアートにダンスはないから、その子が将来的にどんなふうになっていきたいのかは現時点では不明だが、世界を見れば

“バレエと勉強の両立は不可能”

という日本人の多くのバレエ講師が抱いている概念は通用しないのだろう。

上記の記事の世界トップクラスのスタンフォード大学のバレエ団でもそうだが、バレエをやっている子は賢い子が多い。

決してただのバレエ馬鹿ではなく、むしろ頭が良いからバレエダンサーとして成功できることの方が多い。

世界トップクラスのバレエダンサーを見るとそれがよく分かる。

自分なりの哲学を持っている人ほど観る人の心を掴んでいるダンサーが多い。

また、世界トップクラスのバレエダンサーにはならなかったけど、若い時に映画「ファースト・ポジション」以降、相当な注目を浴びていたミコ・フォーガッティさんも中学生頃からは学校に行かず、家庭学習に変え、バレエ一筋に、バレエに人生を賭けてきた。

その後は先日、日本でも大きな話題となっていた4年に一度行われるモスクワ国際バレエコンクールでの金賞受賞、イギリスのバレエ団への入団…そして人生初の大怪我。

そして、TEDでも語っているように悩みに悩んだであろうが、その後の華麗な医師への転身などを知る人は多いと思う。

でも、中学卒業で勉強を終わらせてしまったらその道はない。

私の娘の通うボーディングスクールは2年制で、日本だと高校1年生のみが受験資格を持ち、海外によっても違うが、フランスだと基本的には満16歳〜18歳の子が受験資格を持つ。

ちなみに今年もフランスの委員会からは、娘同様に外国人として中学校からフランスに来て1年間の公立中学校の外国語クラスを経た経験を持つ子が他国に派遣され予定となっている。

だから、冒頭に述べたバレエ女子の子が何歳かは分からないが、娘と同じ歳の可能性もあるし、年下、年上の可能性もある。

仮に娘と同じ歳の17歳だと仮定した時、17歳というのはそのままバレエの道に進むか、他の道に進むかの岐路に立たされている年齢だと思う。

日本の多くのバレエ講師たちは中、高校生がYAGPのアメリカで行われるファイナルに参加するような実力がある生徒が新たな道に進むことを選んだ時に、心から「いい選択だ!」として、次のステップに進もうとする子を手放す事ができるのだろうか?

「あなたはバレエの才能がある。」

「もっとバレエを続けるべき。」

「勉強は大人になってもできる、バレエダンサーを目指すのは今しかない。」

「バレエは夢がある職業でしょう?お客様の前に立って踊れる幸せを感じる事ができる場所なんてそう滅多にあるものではないんだよ。」

などなどの言葉で、引き留めようとするバレエ講師は少なくない気がする。

17歳で踊れる子は、そのバレエ教室の看板となる。

ましてやYAGPのアメリカでのファイナルに行くような実力の持ち主ともなれば、先生達も手放したくはないと思うだろう。

そして、ほとんどは海外バレエ留学を果たしているだろうが、バレエの道に進もうとすることで夏になれば、発表会に出てもらえる。

真剣にその年齢までバレエを習っている子達も、バレエスタジオに育ててもらった恩義がある子が多いからバレエの先生の言うことに反することは抵抗がある。

自分の意思を貫くこと、

自分の人生を考えること、

将来、バレエで成功するかもしれない、

将来、一般の職に就くよりもバレエの道に進んだ方が自分らしい人生が歩めるかもしれない。

でも、

失敗して、学歴もバレエも諦める人生になるかもしれない。

いろんな考えが交錯する。

能力があれば、這い上がる事ができる。

でも、

日常生活すら親に任せっきりで、洗濯、掃除、食事を作ることができないで、ずっと親元で暮らしている50代前後の人が多い私の周りを見ていると、今の若い人たちが本当に自分で選んだ道に進んで、バレエの先生や親ではなくて、自分で決めた人生を歩んでほしいと心の底から思わずにはいられない。

特に、この夏のバレエコンクールの多さを見、YGP JAPANのプリコンペティティブの年齢引き下げ(今までは9歳から。今年から8歳!)を見るにつけ、なんとも言えないもどかしさが拭えない。

特に、最近、オリガ・サファイヤの3冊の本を読んでるせいかもしれない。

彼女は才能があっても、日本人にバレエの道を進むことを進めなかった。それは、ロシアのように職業として確立されてない日本のバレエ界を危惧してのことであった。

1冊目の本「バレエ読本」を出した後、オリガ・サファイヤの弟子や関係者ではなく、他の系統のバレエ関係者が声高に彼女の本を生徒たちに買わないように!と、不買行動を進めたと言う。

(1冊目の本が出たのは1950年。誰が不買運動を起こしたのだろう?)

私の勝手な、本当に、勝手な推測だが、日本には当時のレニングラードバレエ学校で本格的なバレエ指導を受けて来日し、帰化したオリガ・サファイアよりも、本格的なバレエレッスンを受けた事がなかったエリアナ・パブロワのお弟子さんの方が圧倒的に多いし、そのために彼女の方が知名度が高い。

現在でもその彼女の功績を讃える声が多く、鎌倉の稽古場後に記念碑を建てるなど、知名度も弟子をほとんど取らなかった日劇のバレエ講師をやっていたオリガと比較しても圧倒的に高い。

知名度が高ければそれだけお弟子さんも多く集まる。

自分を見せる事がうまく、「パブロワ」という名字を利用してアンナ・パブロワの従姉妹と謳ったエリアナ・パブロワに対して、本名はオリガ・パブロワなのに、アンナ・パブロワの偉大さを身に持って知っていたオリガはあえて日本でパブロワを名乗ることをしなかった。

利用できるものは利用する人はバレエ界に限らず多い。

そういう諸々の歴史を踏まえた時に、バレエ団、バレエ講師同士のしがらみ、嫌悪、プライドの戦いというのはこの当時からあったに違いないと歴史に想いを馳せることしかできないが、1人でも多くの現代の日本バレエに関わる人たちに、ノーベル賞受賞である川端康成が賞賛し、それを参考にしたように、オリガのバレエ読本を手に取って、同時に「舞姫」を読むきっかけになったら素晴らしいと思う。

名前生年没年バレエ団名等その他の情報
エリアナ・パブロワ
(霧島エリ子)
18971941鎌倉
パブロワ・バレエ・スクール
貴族?旅芸人?
慰問先の南京で死去。日本に帰化
オリガ・サファイア19071981日劇ダンシングチームのバレエ教師日本人外務官の妻
ロシアのダンサー
橘秋子19071971橘秋子舞踊研究所(橘バレエ学校の前身)実家、宇都宮の家格の高い農家
服部智恵子19081984服部・島田バレエ団父、ロシアで貿易商
東勇作19101971東勇作バレエ団エリアナ→オリガに師事
牧幹夫19091970牧阿佐美の父、インド舞踊研究実父、宇都宮で弁護士
小牧正英19112006
小牧バレエ団岩手県の富裕層の家(醤油販売商店)、画家を目指
松尾明美19182013松尾明美バレエ団1946の全幕白鳥でオデット/オディール。渋谷区生まれ
島田廣19192013服部・島田バレエ団韓国生まれ
貝谷八百子19211991貝谷八百子バレエ団父、九州の代議士、規格外の富豪
谷桃子19212015谷桃子バレエ団父、兵庫県で外国の商社勤務
近藤玲子
(貝谷の姪)
19232009読売ランドの
近藤玲子水中バレエ団
宝塚で扇千景や淡島千景を指導
松山樹子19232021夫、清水正夫を団長として松山バレエ団設立父、兄共に競馬調教師、鹿児島出身
薄井憲二19242017東大出身、東勇作バレエ団所属、元日本バレエ協会会長東京生まれ、戦後、4年間のシベリア抑留
ワトソン繁子
(笹田繁子)
19262003服部智恵子の娘、インド舞踊家戦後間もない米国に渡り、米国市民権を取得
太刀川瑠璃子19272008スターダンサーズバレエ団成蹊小学校、東京女学館卒業
大瀧愛子19282007大瀧愛子バレエ・アート(タカラジェンヌの指導で有名)1953単身渡米バレエ留学
日本バレエ協会1958発足1946東京バレエ団が発端1957のボリショイバレエに影響され、再集結

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Yoshiko

元シングルマザー&元クラシックバレエスタジオ運営・代表講師。フランスの大学に行くため一念発起して長期学生ビザ(visa étudiant)を取得して母娘でフランス移住🇫🇷一度目のフランス長期ビザ却下をえて、現在パリ郊外で田舎暮らし中。

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