🩰スカラーシップにおけるバレエ留学。それ以外の諸費用をどう補うか。
人に頼ることは、ルース・ベネディクトが著書「菊と刀」で書いているように日本人の恥の文化であることから、私たちの年代やそれ以上の人の中には「人から寄付してもらうこと」をよく思わない人、または恥であると捉える人もいることは一定の理解としてある。
しかし、その本が書かれた1946年から時代は変化し、日本は戦後の復興、高度経済成長、バブル時代、バブル崩壊、そして30年以上今も続く不景気の中を彷徨っている。
日本のバレエは飛躍的に発展した。
日本バレエ界の発展に貢献したオリガ・サファイアが著書「バレエを志す若い人たちへ」の「第一に天文、第二は努力」の項では、
立派なバレリナになるためには、特に天分が極めて重要であることを強調したいと思います。
バレエの天分には、前に述べたとおり、外面的なものと、内面的なものとがあります。そのうち、どちらが欠けても、すぐれたバレリナにはなれません。もちろん、金剛石だとて、山から掘り出したままでは光を発しません。それと同じように、どんなに天分の豊かな者でも、一かどのバレリナになるまでには、並々ならぬ努力そするのです。
と書いている。
※「バレリナ」は原文のまま
天分あってこその努力。
今から46年前、1980年に発行されたこの本で真髄が書かれている。
下記は、同じ年代、日本バレエ界の初期の人たちが師事したエリアナ・パブロワについて書いた記事。(オリガ・サファイアについてはまだ書けていない。)
例えば3歳から、5歳からバレエを習い始めたとして、その時点でバレエダンサーにうちの子はなる!具体的に、バレエダンサーになるまでにお金がこのくらいかかる!
と計算している保護者はバレエ受講者の何%くらいいるのだろうか?
2006年に始めた私自身のバレエ教室に通いはじめたお子さんのほとんどは、
「近くにあったから」
「姿勢が良くなると思ったから」
「高くなかったから」
「子供が踊るの好きそうだったから」
「子供が音楽に合わせて身体を動かすのが好きだったから」
などでどの保護者も子供をバレエダンサーに!と最初から思っている方はいなかった。
でも、やっているうちに子供の方が楽しくなって、週1から週2回、週2回から週3回と回数がどんどん増えて行って、最終的にはバレエダンサーを目指す子も出てきたような、市区町村によくあるバレエ教室だった。
保護者もほとんどがバレエの経験ない人たちばかり。
バレエのこと全く知らない…シニョンって何?
という人達からしたら、バレエコンクール、バレエ留学というのは全く別の世界の話であり、「なんとなく子供がやりたいと言ったから始めさせた。」から、その後数年で「世界への道」を考える保護者は少数であると思う。
子供の向き不向きをしっかり親の目で判断し、バレエの先生と相談しながら先へ進んでいく過程がある。
でも、突出した才能を持っている子達は、そればかりではない。
例えば、シルヴィ・ギエムが競技体操の練習の一環で、パリ・オペラ座バレエ学校を訪れた際、クロード・ベッシー校長が本人や親を説得してバレエへの道へと転向させ、瞬く間にその才能を開花させ、若干19歳でエトワールに上り詰めたというのは有名な話である。
バレエを12歳で初めて僅か7年でエトワール。
その後の偉業は誰もが知るところである。
才能というものは彼女が言うように誰でも彼でもが持っているものではない。
天分は一般の人が努力しても手に入れられるものではない。
でも、その才能は本人も親も知らないことも多く、他人、第三者に認められ、説得され初めて知ることもある。
バレエの才能というのは、一般的には見えづらいがクロード・ベッシー校長のように見る人が見れば明らかである。
見た目、佇まい、身体的条件、情熱、その人が放つ存在感等。
それがシルヴィ・ギエムに備わっていたことは間違いないし、マチュー・ガニオも全てを持ったうちの1人だろう。
しかし、彼の場合は両親共にパリ・オペラ座バレエのダンサーであり、素質があったのは当然と言えば、当然であった。
やはり人とに出会い、タイミングは大事である。
「機」と言うものがある。
それを逃すと次の機がいつ訪れるか、誰にも分からない。
果実が熟した後に再び機が訪れても時既に遅しである。
つまり、後悔先に立たず。
1922年の日本を考えると来日公演でアンナ・パブロワが踊った瀕死の白鳥に日本人は心を奪われたのだが、彼女自身も幼少期は貧しく、彼女の母もバレエとは無縁の人であった。
8,9歳で初めてバレエ「眠りの森の美女」を観たアンナ・パブロワに対して母親が、
「あの輪の中で踊りたい?」と聞いたところ、幼いアンナは
「主役をやりたい」
と真っ直ぐな目で答え、しばらく劇場を後にすることができなかったと言う逸話が残っているが、彼女の母親もまた、バレエに関する知識はゼロであった。
昨今のSNSを見ていると、バレエを習わせる前にバレエはお金がかかるものと分かっていたはず!という意見を多く散見できるが、バレエの予備知識ない保護者が自宅近くバレエ教室があったからという理由で子供にバレエを始めさせて、後からこんなにお金がかかるなんて思わなかった、と言う事はある種、当然であり、調べ尽くす方が稀だと思う。
ちなみに森下洋さんも「たまたま自宅の近くにバレエ教室ができたからバレエを習い始めた」と、仰っている。
前提と言うのは「自分」と「他者」では異なる。
たとえば、長くバレエをやってきた「私」のバレエにおける前提では、
バレエはお金がかかる…
発表会代、衣装代、トウシューズ代、男性の先生へのお礼、遠征費、コンクール代等…
枚挙にいとまがない。
結論=バレエはお金がかかる
となる。
しかし、私の母はそんなことは考えず私にバレエを習わさせた。理由は私の遺伝的な内股を治す目的のため。父は私がバレエにのめり込んでお金がかかる事に大反対。
結果、「金持ちの道楽。」と言われ続けた学生時代だった。
バレエのことを知らない人達が多いのは当然で、2026年の現在でもSNSでも全くバレエを知らない保護者の方が、バレエ教室を選ぶ際の基準、何が必要かを聞いたりしているのを目にする。
話は、娘の学校に飛ぶが、娘は現在スカラーシップを頂いて、IB教育のボーディングスクールで学びを得ている(バレエとは関係ない)のだが、娘が始める前はIB教育に関してはわからないことだらけだったし、ボーディングスクールのシステムについても分からないことだらけだった。
でも、自分の子供が関わることで、そこに母としてIB教育について学び、ボーディングスクールとは何ぞやという学びを得ている。
親も子供と共に成長し、学びを得る。
その過程で当然ながら、
現実の壁にぶつかることもある。
「ない袖は振れない」、と言い切るか、現代的なシステムを使って新しい事にチャレンジしていきながら、自分の未来を切り開いていくか。
実際、私自身は「ない袖は触れない」と言い切るだけだったが、2023年頃からクラウドファンディングでYAGPへの渡航費をお願いする人たちが増えてきたのを見て、そう言う手段があるのだと言うことを知った。
世の中の人に納得してもらい、理解を得られるのなら、寄付をお願いするのは決して悪いことではない。
むしろ、自分への挑戦であったりしてポジティブな効果が多いように思う。
多くの人に応援してもらっているのを本人も知っているからこそ、自分の力以上のものを発揮できる可能性もある。
その結果、バレエダンサーになれるかもしれないし、才能があってもなれない子もいる。海外の生活が合わず、またはホームシックになって帰国を余儀なくされる場合もある。
精神力が試される若い世代はこれからも増えていくのかもしれない。
なぜなら、日本には欧州のように寮制で、国が保障してくれるような確固たるバレエ教育を受けられるバレエ学校が存在しないから。
大昔に千葉の九十九里にできた日本初のバレエ学校は中学生も入校でき、現地の中学校に通える画期的なものだったが個人経営だったため、入校生にの親には莫大な費用がかかっていた。
到底、一般サラリーマンが払える額ではなく、諦めざるを得ない子たちもいっぱいいただろう。今のようなネット社会ではなく、現金資本だった時代の話である。
windows95が発売される前の話であり、MS-DOSの時代。
パソコンが一般家庭に普及する前の話である。
日本では、その後、海外志向が強くなり、現在に至るが日本のバレエ界は100年経った今も道半ば。先人たちの努力も虚しく、システム的には何も変わっていない。
多くの個人のバレエ講師たちの努力によって有能なバレエダンサーが輩出され続けているが、不景気が続く今の日本の状態を顧みたら、新しい媒体を利用し、新しいスポンサーを見つける手段を考えることは後進のためにも繋がることではないかと思う。
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