🩰人生波乱万丈、亡くなった後も色々あり過ぎてまとめるのが難しい時代の寵児、小牧正英
小牧正英を取り巻く状況は2006年に亡くなった現在も穏やかではなさそうで、2022年「小牧バレエ団」の商標利用、名称使用料、権利などを巡って裁判にもなったようであるが、ここで詳細を触れるのは控えることとする。興味がある人は下記のリンクへ。
※参照記事「デイリー新潮」
小牧正英は1946年に行われた東京バレエ団「白鳥の湖」公演の立役者の1人でもあった。
上海バレエ・リュスから1946年の春に帰国後、すぐに東宝と契約を結び、貝谷、服部・島田、東と共に8月の白鳥の湖の日本初の全幕公演へと導く。その後の彼の勢いは凄まじく、公演リハーサル中に稽古場にそれぞれのバレエ団が団員を募集し、結果、服部・島田が一回目の公演成功にも関わらず、2回目以降の東京バレエ団の舞台に参加しない仲違いが起こってしまった。
3回目では蘆原英了(フランスで有名な画家、藤田嗣治の甥)も去っている。
小牧正英(本名:菊池榮一)
- 1911(明治 44)年、岩手県江刺郡岩谷堂にて、7 人兄弟の長男(第二子)として誕生。
※実家は、味噌・醤油・酢の醸造販売を生業とする裕福な家庭。 - 1921年、画家になろうと思い、家族の反対を押し切り、パリへ行くことを決意するも、ハルビンからモスクワ行きの電車の中でビザがないことが見つかり、ハルビンに戻される(当時の満州は日本領)。
- ハルビンでロシア人のピアノ講師にピアノを習い始める。
- 1932?、33?、34?年、そのピアノ講師のススメで当時ロシア人しか入れなかったハルビン音楽バレエ学校に入学。芸名「レオ・ドノーレ」。
※『日本洋舞史年表Ⅰ』には 1932(昭和 7)年と記されているが、そうすると6年在学とした場合、卒業年が上海バレエ・リュス入団と合わない。資料によっては34年とも。 - 6年、又は8年のバレエ学校生活後、卒業公演で主役を踊る。
- 1940年、上海のライシャム劇場付属のロシアン・バレエ団に入団。
当時の上海はフランス租界(1849-1943)だったため、コンスタンチン・マキシモヴィッチ・コンドーロフと言うロシア人になりすまして上海入りを果たし、マリンスキーのレパートリー作品を踊る。 - 1943年、上海含め全ての租界が日本領となり、逮捕を避けるため、コンスタンチン・マキシモヴィッチ・コンドーロフのコとマキと家族の中で、唯一、家出の際に見送ってくれた弟、「正英」の名をとって、「小牧正英」となった。
- 1944年.06.15-18 ライセウム劇場にて「ペトルーシュカ」の主役を踊る
- 1945年.07.– ライセウム劇場にて「エスメラルダ」の詩人グランゴワール役を踊る
- 1945年8月、上海で終戦を迎える
- 1946年4月、日本に帰国。
- 1946年8月(17日間)、蘆原英了と共に東京バレエ団(服部・島田、貝谷、小牧、東)を結成し、全幕「白鳥の湖」を公演。
- 1946年、谷桃子(谷桃子バレエ団)と結婚、半年後離婚。(別れた理由:谷が芸術家過ぎた。)
間の舞台関係の年表は興味ある方はこちらをどうぞ。主要なものだけ掲載し、半分くらいカットしたが、それでもものすごく長い。
- 1946年、12東京バレエ団第2回公演(帝国劇場)「パガニーニ幻想」、「シェヘラザーデ」(日本初演)、「ジゼル幻想」
- 1947年、小牧バレエ団結成
- 1947年.10.04-25、東京バレエ団第 3 回公演(帝国劇場)「コッペリア」(全幕日本初演)
- 1949年.01.02-12、東京バレエ団第 5 回公演(帝国劇場)「白鳥の湖」「薔薇の精」
- 1949.04.09-24、東京バレエ団第 6 回公演(帝国劇場)「レ・シルフィード」(日本初演)
- 1949.06.22 小牧バレエ団、後楽園野外ページェント「剣舞」
- 1949.12.02-04 小牧バレエ団公演(日比谷公会堂)「受難」(チャイコフスキーの悲愴による)
- 1950年、東京バレエ団解散
- 1951年.08.28-30小牧バレエ団公演(日比谷公会堂)「ペトルゥシュカ」「プリンス・イゴール」
- 1952年.12.01-03、小牧バレエ団公演(日比谷公会堂)「ドン・キホーテ」よりパ・ド・ドゥ(日本初演)他 ソニア・アロワと踊る
- 1953年.11.04-25、小牧バレエ団公演(日本劇場)「ジゼル」「白鳥の湖」他 出演=ノラ・ケイ ポール・シラー
- 1954年.07.29-31 、小牧バレエ団公演(日比谷公会堂)「白鳥の湖」 客演=ノラ・ケイ
- 1954年.08.25-09.17、小牧バレエ団公演(日劇、大阪北野劇場)「ライラック・ガーデン」「カフェ・バー・カンカン」「火の鳥」「ドン・キホーテ」客演=ノラ・ケイ アントニー・チューダーを招聘し上演
- 1954年.09.30-10.04、小牧バレエ団公演(日本劇場)「白鳥の湖」「ドン・キホーテ」他 出演=ノラ・ケイ 指導=アントニー・チューダー
- 1957年.08.30 日本バレエ協会設立発起人記者会見 発起人=服部智恵子 貝谷八百子 横山はるひ 谷桃子 橘秋子 松山樹子 小牧正英 東勇作 島田廣
- 1958年.02.24-03.11(7回公演)小牧バレエ団公演(日比谷公会堂、他)「白鳥の湖」「眠れる森の美女」 出演=マーゴ・フォンテイン(初来日) マイケル・ソームズ
- 1959年.02.24-03.11、小牧バレエ団公演(日比谷公会堂)マーゴ・フォンティーン、マイケル・ソームズを招き「白鳥の湖」「眠れる森の美女」を上演
- 1959年.11.28-12.09(14 回公演)、日本バレエ協会による芸術祭主催公演(東京産経会館)「金鶏」(日本初演) 出演=小牧正英谷桃子 大滝愛子 貝谷八百子 松山樹子 田中福枝 東勇作 粕谷辰雄 島田廣 関直人等
- 1960年.02.21、合同バレエ祭(共立講堂)催=東京新聞 小牧バレエ団、貝谷バレエ団、牧阿佐美バレエ団、法村友井バレエ団等 10 団体が出演
- 1961年.11.01-04、大東京祭協賛会舞踊公演(東京文化会館)「ファウスト」
- 1962年.10.02-06、東京都芸術祭「白鳥の湖」第2、3幕・6バレエ団競演(東京文化会館)出=谷桃子バレエ団(谷桃子)、松山バレエ団(松山樹子、柿沼田鶴子)、牧阿佐美バレエ団(大原永子)、貝谷バレエ団(貝谷八百子、加美早苗)、服部・島田バレエ団(菅井利枝子)、小牧バレエ団(太刀川瑠璃子、岡本佳津子)
- 1963年、当時結婚していた太刀川瑠璃子(スターダンサーズ・バレエ団創始者)と離婚
- 1963年.10.04-07、東京都芸術祭参加バレエ合同公演(東京文化会館)6団体による「ジゼル」競演 出=谷桃子バレエ団、小牧バレエ団、松山バレエ団、法村友井バレエ団、服部・島田バレエ団、貝谷バレエ団
- 1965年.03.29、第3回バレエ・フェスティバル(日比谷公会堂)催=日本バレエ協会 「雪女」
- 1966年.03.12、小牧バレエ団結成 20 周年記念公演(サンケイホール)「スラブ舞曲」「バレエ・ブリリアン」
- 1967年.03.17、NHKバレエの夕(サンケイホール)「カラー・シンフォニー」
- 1968年.03.10、第6回バレエ・フェスティバル(厚生年金会館)「アルミードの館」日本初演「天と地の声」「バレエ・コンサート」
- 1968年.03.16、NHK音楽祭:バレエの夕べ(サンケイホール)「青春三章」「アラベ
スク」「風変わりな店」 - 1969年.05.22-23、小牧バレエ団、谷桃子バレエ団合同公演(サンケイホール)「レ・
シルフィード」「コッペリア」 - 1969年.10.02-07、東京都芸術祭(東京文化会館)6団体交互出演による「白鳥の湖」
出=松山バレエ団、貝谷バレエ団、谷桃子バレエ団+小牧バレエ団、牧阿佐美バレエ団(大原永子、森下洋子等)、法村友井バレエ団 - 1970.02.09、小牧バレエ団・谷桃子バレエ団合同公演(サンケイホール)「白鳥の湖」
- 1970.05.17、小牧バレエ団・谷桃子バレエ団合同公演(サンケイホール)「白鳥の湖」
- 1970.06.30 小牧バレエ団・谷桃子バレエ団合同公演(杉並公会堂)「白鳥の湖」
- 1970.09.15、小牧バレエ団・谷桃子バレエ団合同公演(福島文化センター)「白鳥の湖」
- 第 10 回バレエ・フェスティバル(東京郵便貯金ホール)催=日本バレエ協会 「ラ・ペリ」「ペトルウシュカ」
- 1974.11.12-14、鹿児島バレエ・フェスティバル(鹿児島県文化センター)「シェヘラザーデ」他 講演=小牧正英、合田成男
- 1974.12.02 日本バレエ協会、社団法人となる
- 1974.12.23社団法人化に伴い設立総会開催(国立教育会館) 初代会長に服部智恵子。副会長=小牧正英、友井唯起子 専務理事=島田廣 常務理事=貝谷八百子、松山樹子、川路明、粕谷辰雄、永江巌、吉安治子、尾島義介 理事=松尾明美、谷桃子、笹本公江、柴田善、岩田高一、橋浦勇、小川亜矢子、横瀬三郎
- 1975.03.21-22、文化庁助成第 13 回バレエ・フェスティバル(東京文化会館)=日本バレエ協会 「讃歌」「東海道四谷怪談」「シェヘラザード」
- 2006年、死去
- 2022年、「小牧バレエ団」を巡って権利争い。
年表だけでお腹いっぱいになりそうなくらいの膨大な量の公演をハルビンから帰国して行なっていたが、ソニア・アロワやマゴット・フォンティン、ノラ・ケイなどを日本に招待し、一緒に踊っているのは特筆すべき事項だと思う。
また、土方巽の妻の元藤燁子も小牧バレエ団出身で、門戸を叩いた後の舞踊家は枚挙にいとまがない。
「将来、東宝の機構の中に職業バレエ団をつくってもらいたい」
と帰国後、東宝社長に相談していたが、東宝社長の他界によって叶わなかったと言う。
それは新国立劇場バレエ創設の際、文化庁に要望はあるかと聞かれた島田廣が、
「コール・ド・バレエにもサラリーマン同様、又はそれ以上の給与を!」
と熱望したが、叶わなかったのと同様である。
※こちらは、それから50年後の1997年のことであるがバレエを取り巻く日本の状況は何も変わっていない。
小牧自身は自分の上海バレエ・リュスの原体験から日本伝統芸能の師弟関係を強めるバレエ教育事情に常に疑問を持ち、バレエダンサーが職業として成り立つバレエ団を希望していたと言うのはいくつかの記事で見受けられる。
ハルビンでロシア人のためのバレエ学校に入ってから彼の人生は大きく変わった。7年、8年過ごしたこの街は帝政ロシア時代に築かれ、1917年から1923年にかけて行われたロシア革命により、多くのロシア人たちがそこに移り住んでいた。
また、上海バレエ・リュスでは主要な役に就くも、上の年表の通り、不安定な政治状況、そして、その後の第二次世界大戦の影響もあり、ロシア人名(スラヴ人とタタール人の混血エミグラント・ロシア人のパスポートも所持)を含め、幾つかの芸名または偽名を使わざるを得なかった。
ただ、ライシャム劇場を本拠地としたこのバレエ団の経営面は理想的で、ダンサーは給料制であった。公演のない月は、基本給、公演のある月は公演手当てが上乗せされる待遇だった。また、稽古場が劇場内にあるというオペラ・ガルニエのような環境が整い、職業として成り立つバレエ団であった。
帰国後は、その芸名の一つ、日本人名「小牧正英」として日本で活動し始め、すぐに、東京バレエ団公演「白鳥の湖」の全幕日本初演に参加した。
その経緯には蘆原の熱烈な呼びかけがあった。それは当初は島田廣の呼びかけによるものだったが、上海バレエ・リュスで全幕公演をした事があった小牧に白羽の矢が立ったのだった。また、全幕用のスコアも小牧が持ち合わせており、そのピアノスコアを指揮者の山田一雄がオーケストラ用に編曲・演奏し、また、美術は蘆原英了の叔父にあたり、当時、戦争の影響でフランスから帰国していた藤田嗣治が全てを担当し、スポンサーには東宝がついた。
公演は、戦後の焼け野原で戦火を逃れた帝国劇場で行われた。
そして、気になる4幕の終わり方はハッピーエンド。(終戦直後という特異な状況にあったため、上海バレエ・リュスの演出を利用。)
※1944年2月、決戦非常措置要綱により全国19の劇場が閉鎖を命じられ、帝国劇場は、東京都防衛局の庁舎となっていた。また、東京大空襲の日(1945年3月10日)、丸の内・日比谷地区の東宝系列の劇場、帝劇・日劇・東京宝塚劇場・有楽座はB29の砲火から免れてた。
その東京バレエ団の白鳥の湖を見ていた谷桃子は感動し、小牧の門下生となり、その年の12月の東京バレエ団第2回公演の「パガニーニの幻想」でソリストとして踊った。
そして、なんと、その直後小牧と結婚するも、半年で離婚。
しかし、後年、谷桃子バレエ団と組んで公演を度々行なっているところを見ると、お互いの仲は悪くはなかったのだろうと推測できる。芸術家同士としては尊敬しあっていたのかもしれない。
1946年の白鳥の湖は概ね高評価であったため、ロングランとなったが、舞踊家の石田種生は、たった三か月の準備期間しか経ていない上演に対し、異議を唱えている。
〈白鳥の湖〉の群舞を踊ったダンサーのなかには、トウで立つこともおぼつかない人が大勢いた。にもかかわらず、「美しいものと娯楽に飢えていた観客は熱狂した」のである。
また、晩年、薄井憲二氏も小牧についてインタビューでこのように語っている。
踊りは下手だし作品はつまらなかった。エリアナ・パブロワの妹のナテジタさんなんかも怒っていました。『牧神の午後』ではニンフと牧神が追いかけっこして戯れるような場面もつくってあって。そんなのあるはずないのは誰だって知ってるのに、ひどすぎると思った。
また、上の年表に名前も上がっている2025年に102歳で亡くなった合田成男氏による小牧への見方はこうだ。
外国から帰って来ると目新しいことをやるわけ(笑)。それで進歩的だと言われる。それからバレエが、本当によちよちだった。大きなバレエ団といったら貝谷バレエ。小牧(正英)がでて、ロシアを持ち込んで、外国から持ってきたメソッドをやって、随分変わった。あの人は我が強くて、日本の人々と肌合いが違って、どうしても上手く合わない。でも商売的に上手い、形ができるうえでの才能を持っている。それで、東宝と結びついて、第一回目の東京バレエ団ができて、初めて《白鳥の湖》だとかを見せた。そういう組織が東宝から放された後で、一般的にも、知名度が高い小牧バレエ団に、皆ザーッと集まったよ。
しかし、小牧の功績は上の年表でもあるように次々と全幕のバレエを成功させ、さらに海外からソニア・アロワ、マーゴ・フォンテーン、ノラ・ケイを召喚したことである。
そして、アントニー・チューダーが振付として召喚されたことが後に小牧と離婚後に(1963年)、太刀川瑠璃子が立ち上げたスターダンサーズバレエ団(1965年)おいて、チューダー作品を多く扱うきっかけとなった事は疑う余地はないだろう。(特に1980年前後)
小牧バレエ団を退団後、1964年に仲間を集めて行なったガラ公演もアントニー・チューダーの作品だった。
1981年の日本初演となる「海賊」が彼にとって本格的バレエ作品の最後の公演となった後、執筆作業に力を入れているが、彼が亡くなってもなお、親族による「小牧」の権利を巡る争いが行われている。
ちなみに小牧には複数子供がいて(ここでは人数は明記しない)、1人は東京フィルハーモニーで、演奏家として活動されているのが確認できた。
いずれにせよ、亡くなってもまだまだ穏やかならぬ状況が続く小牧の周辺だが、彼の日本における日本バレエの功績は思った以上に多く、彼がいなかったらそれこそ日本に本格的な全幕バレエが伝わってきたのは恐らくもっと、もっと、後だったのだろうと思わずにはいられない。
戦中、戦後の情熱。
日本のバレエを家元制度的ではなく、職業バレエにしようと努力はしたが、エリアナ・パブロワが内弟子たちを次々と独立させるなど、彼女の短い人生の中で日本のバレエ界にもたらした影響は計り知れないようだ。
| 名前 | 生年 | 没年 | バレエ団名等 | その他の情報 |
| エリアナ・パブロワ (霧島エリ子) | 1897 | 1941 | 鎌倉 パブロワ・バレエ・スクール | 貴族?旅芸人? 慰問先の南京で死去。日本に帰化 |
| オリガ・サファイア | 1907 | 1981 | 日劇ダンシングチームのバレエ教師 | 日本人外務官の妻 ロシアのダンサー |
| 橘秋子 | 1907 | 1971 | 橘秋子舞踊研究所(橘バレエ学校の前身) | 実家、宇都宮の家格の高い農家 |
| 服部智恵子 | 1908 | 1984 | 服部・島田バレエ団 | 父、ロシアで貿易商 |
| 東勇作 | 1910 | 1971 | 東勇作バレエ団 | エリアナ→オリガに師事 |
| 牧幹夫 | 1909 | 1970 | 牧阿佐美の父、インド舞踊研究 | 実父、宇都宮で弁護士 |
| 小牧正英 | 1911 | 2006 | 小牧バレエ団(現国際バレエアカデミア) | 岩手県の富裕層の家(醤油販売商店)、画家を目指 |
| 松尾明美 | 1918 | 2013 | 松尾明美バレエ団 | 1946の全幕白鳥でオデット/オディール。渋谷区生まれ |
| 島田廣 | 1919 | 2013 | 服部・島田バレエ団 | 韓国生まれ |
| 貝谷八百子 | 1921 | 1991 | 貝谷八百子バレエ団 | 父、九州の代議士、規格外の富豪 |
| 谷桃子 | 1921 | 2015 | 谷桃子バレエ団 | 父、兵庫県で外国の商社勤務 |
| 近藤玲子 (貝谷の姪) | 1923 | 2009 | 読売ランドの 近藤玲子水中バレエ団 | 宝塚で扇千景や淡島千景を指導 |
| 松山樹子 | 1923 | 2021 | 夫、清水正夫を団長として松山バレエ団設立 | 父、兄共に競馬調教師、鹿児島出身 |
| 薄井憲二 | 1924 | 2017 | 東大出身、東勇作バレエ団所属、元日本バレエ協会会長 | 東京生まれ、戦後、4年間のシベリア抑留 |
| ワトソン繁子 (笹田繁子) | 1926 | 2003 | 服部智恵子の娘、インド舞踊家 | 戦後間もない米国に渡り、米国市民権を取得 |
| 太刀川瑠璃子 | 1927 | 2008 | スターダンサーズバレエ団 | 成蹊小学校、東京女学館卒業 |
| 大瀧愛子 | 1928 | 2007 | 大瀧愛子バレエ・アート(タカラジェンヌの指導で有名) | 1953単身渡米バレエ留学 |
| 日本バレエ協会 | 1958発足 | 1946東京バレエ団が発端 | 1957のボリショイバレエに影響され、再集結 |
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