🩰17歳で歌舞伎座貸切デビュー公演を行った規格外の大金持ちの娘 貝谷八百子

前回の服部智恵子のブログでも書いた1946年の白鳥の湖の主演であるオデット・オディールを踊った「貝谷八百子」(カイタニヤオコ。百合子と書いてある資料もある)を今回は取り上げる。手足が長く、日本人離れした体型だったと言うことでも有名であるが…

  1. エリアナ・パブロワの下に入門してわずか3年で御免状取得。
  2. その2年後には17歳で歌舞伎座でデビューを果たすという、お金持ちのレベルが違う人だった。

歌舞伎座貸切っていくらするの??億行っちゃう?しかも…3回…想像もできない。

日本バレエ界の歴史を辿ると、お金持ちがとにかく多いが、パトロンがいた人も多い。

例えば、橘秋子は武者小路実篤(孫がバレエダンサーで歌舞伎役者の妻、河村有紀子)が付いていたし、松山樹子は東大院卒内務省国土局技官の役人だった清水正夫がいた。

東勇作は内縁の妻であった陶芸家の久松昌子がサポートしていたが、貝谷八百子は実家が太すぎてお金が湯水のように溢れ出していた逸話が多く残る。

【経歴】

  • 1921年に福岡県の鉱山主で代議士もつとめた貝谷真孜、多美(共に同墓)の三女(六女?)として誕生
  • 1933年、文化学院に入学するため上京
  • 1934年、エリアナ・パブロワからバレエを習い始める
  • 1936年、エリアナ・パヴロバダンスリサイタルに出演。エリアナの元を卒業
  • 1938年、17歳。貝谷バレエ団を立ち上げ、歌舞伎座貸切のデビューを果たす。
  • 1939年、再び歌舞伎座で貝谷八百子バレエ劇場第 2 回公演
  • 1940年、三年連続で歌舞伎座で貝谷八百子第 3 回舞踊公演
  • 1941年、故エリアナ・パヴロバ女史追悼舞踊会に参加
  • 1943年、貝谷八百子バレエ団第4回公演(場所は不明)
  • 1946年、服部・島田、小牧、貝谷のバレエ団が「東京バレエ団」を作り、全幕白鳥の湖を上演し、主演を務める。スポンサーは東宝。練習場所が貝谷百合子バレエ団。
  • 1948年、貝谷バレエ団創立 10 周年記念公演(帝国劇場)
  • 1950年、堀内完、貝谷バレエ団入団
  • 1951年、日比谷公会堂にて貝谷バレエ団「シンデレラ」(全幕日本初演)公演
  • 1953年、帝国劇場にて貝谷バレエ団 15 周年記念「くるみ割り人形」(全幕日本初演)公演
  • 1956年、大阪産経会館にて貝谷バレエ団「ロミオとジュリエット」(日本初演)公演
  • 1957年、日本バレエ協会設立(法人化は1974年) 発起人=服部智恵子 貝谷八百子 横山はるひ 谷桃子 橘秋子 松山樹子 小牧正英 東勇作 島田廣
  • 1957年、貝谷八百子、巳之部豊(高木典太)と結婚。典太は婿養子として貝谷家に入った。
  • 1969年、第7回 バレエ・フェスティバルで「真夏の夜の夢」振付
  • 1991年、69歳で死去 多摩霊園に眠る。

上にも書いた通り、彼女も桁違いのご令嬢の1人だった。

やはり、日本バレエの初期を支えた人たちは想像以上の突き抜けたご子息、ご令嬢ばかり…、なんなら実家が旧家、外交官、代議士、薄井憲二氏のように自身が東大卒(男性)も多い。

ちなみに、女性の実家が裕福な場合、婿養子に入る男性が多いのもこの時代の特徴。

ちなみにバレエ関係者以外で、バレエに深く関わりがあった人だと、1946年の舞台美術を担当した藤田嗣治(画家)や上皇陛下と学習院時代同級生だった三島由紀夫(小説家)なども裕福な家庭、上流階級の中で子ども時代を過ごしている。

「美に至る道は険しい」

 その言葉通り、若い頃は東勇作に個人レッスンを頼むなど、レッスンを怠らなかったらしいが、バレエを習ってわずか3年でエリアナから独立できるとは、シルヴィ・ギエムもびっくり!な才能だった事が窺える。

エリアナ自体がオリガ・サファイアのような確固たる基礎を習っておらず、貝谷のように数年で弟子を独り立ちするのを促していたと言う逸話もある。(バレエの裾野を日本社会に広げるため、貝谷のように特にお金持ちの子で、素質のありそうな子には力を入れていたらしい。)

だから、この当時の日本バレエの常識としては3年という修行期間は一般的だったのかもしれない。

※シルヴィ・ギエムは体操の強化選手で、体操の練習の一環でバレエを習いにオペラ座バレエ学校に行ったら、当時の校長のクロード・ベッシーがそのバレエの才能に気付き、本人と親を説得。12歳でオペラ座バレエ学校、16歳でオペラ座入団。19歳でエトワール。

また、金持ちエピソードとしては、個人レッスンをしていた東勇作がレッスン場である貝谷の自宅に行くと昼寝中と言う事があると言う。そすると、家の人がわざわざ来てもらったからと言う理由で束でレッスン代を渡していたと言う仰天エピソードが残っている。

また、エリアナに師事していた初期の頃は、エリアナの語学力不足により、ハイヒールで蹶るという行動が先に来ていたという。そのため、レッスン中に繰り返し倒れたが、そこにエリアナが水を掛けるという現代ではあり得ない指導法だったらしい。

※令和の今だと即刻通報のような…

ただ、それだけ期待されていたというのもあるだろうし、語学の問題ではなく、単純にロシア人の気質というのもあったのかもしれない。

また、戦時中に友人達とオープンカーを乗り回してドライブしてたら、憲兵に怒られたと言う仰天金持ちすぎるエピソードもある。

いずれにしても、ストイックなエリアナのレッスンに負けず、数年後、17歳で歌舞伎座貸切でデビューを果たし(17歳主宰のバレエ団にさすがに正規団員はおらず、当時はかき集めで出演してもらった)、戦時中の日本でバレエを続けていた上、オープンカーでドライブをし、終戦の翌年には白鳥の湖の主役を踊るなど、当時も今も、一般の感覚からは遠くかけ離れていたのだろう。

戦争の悲惨さ、生活の厳しさは私が語るまでもないが、こうやって日本のバレエの歴史を調べていると、困窮とか、お国のために!と言うスローガンが遠いように感じる逸話が多く残る。

浮世離れとも言うべきか…。

日本のバレエ界ではお馴染みの『オン・ステージ新聞』に批評を掲載している舞踊評論家の合田成男氏があるインタビューの中で答えている。

それからバレエが、本当によちよちだった。大きなバレエ団といったら貝谷バレエ。小牧(正英)がでて、ロシアを持ち込んで、外国から持ってきたメソッドをやって、随分変わった。あの人(小牧)は我が強くて、日本の人々と肌合いが違って、どうしても上手く合わない。でも商売的に上手い、形ができるうえでの才能を持っている。それで、東宝と結びついて、第一回目の東京バレエ団ができて、初めて《白鳥の湖》だとかを見せた。そういう組織が東宝から放された後で、一般的にも、知名度が高い小牧バレエ団に、皆ザーッと集まったよ。スターダンサーズをつくった太刀川留璃子は、小牧バレエ団の出身。世の中そんなんで、本当に何もできていない、まだドロがいっぱいで、ところどころ硬いところがあるというような感じかな。

ちなみに現在、東京都世田谷区松原のスタジオには1946年白鳥の湖発祥の地という記念碑が建立している。

名前生年没年バレエ団名等その他の情報
エリアナ・パブロワ
(霧島エリ子)
18971941鎌倉
パブロワ・バレエ・スクール
貴族?旅芸人?
慰問先の南京で死去。日本に帰化
オリガ・サファイア19071981日劇ダンシングチームのバレエ教師日本人外務官の妻
ロシアのダンサー
橘秋子19071971橘秋子舞踊研究所(橘バレエ学校の前身)実家、宇都宮の家格の高い農家
服部智恵子19081984服部・島田バレエ団父、ロシアで貿易商
東勇作19101971東勇作バレエ団エリアナ→オリガに師事
牧幹夫19091970牧阿佐美の父、インド舞踊研究実父、宇都宮で弁護士
小牧正英19112006
小牧バレエ団(現国際バレエアカデミア)岩手県の富裕層の家(醤油販売商店)、画家を目指
松尾明美19182013松尾明美バレエ団1946の全幕白鳥でオデット/オディール。渋谷区生まれ
島田廣19192013服部・島田バレエ団韓国生まれ
貝谷八百子19211991貝谷八百子バレエ団父、九州の代議士、規格外の富豪
谷桃子19212015谷桃子バレエ団父、兵庫県で外国の商社勤務
近藤玲子
(貝谷の姪)
19232009読売ランドの
近藤玲子水中バレエ団
宝塚で扇千景や淡島千景を指導
松山樹子19232021夫、清水正夫を団長として松山バレエ団設立父、兄共に競馬調教師、鹿児島出身
薄井憲二19242017東大出身、東勇作バレエ団所属、元日本バレエ協会会長東京生まれ、戦後、4年間のシベリア抑留
ワトソン繁子
(笹田繁子)
19262003服部智恵子の娘、インド舞踊家戦後間もない米国に渡り、米国市民権を取得
太刀川瑠璃子19272008スターダンサーズバレエ団成蹊小学校、東京女学館卒業
大瀧愛子19282007大瀧愛子バレエ・アート(タカラジェンヌの指導で有名)1953単身渡米バレエ留学
日本バレエ協会1958発足1946東京バレエ団が発端1957のボリショイバレエに影響され、再集結
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Yoshiko

元シングルマザー&元クラシックバレエスタジオ運営・代表講師。フランスの大学に行くため一念発起して長期学生ビザ(visa étudiant)を取得して母娘でフランス移住🇫🇷一度目のフランス長期ビザ却下をえて、現在パリ郊外で田舎暮らし中。

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