🩰日本のバレエの歴史を作った色んな意味ですごい先人、恋多き日本のボーヴォワール、服部智恵子
それぞれの人生を今後もっと掘り下げていきたいとは思っているけれど、思った以上にバレエに人生を賭けた先人の生き様が逞しかった。
1946年の白鳥の湖の舞台美術を担当した藤田嗣治もかなりぶっ飛んでいるけど、日本バレエ界の重鎮であった顔ぶれも引けを取らないぶっ飛んだ人生を送られている方が結構いらっしゃる。
今回は「服部智恵子」を取り上げる。
彼女の名前、バレエ界での名声を知らない人はいないと思うが、その生き様について調べたことがある人は少ないかもしれない。
- ロシアで日本人の父、ロシア人?日本人?の母の元で生まれる。
- 18歳で身籠るも、シングルマザーになりそうだったから、貿易商であった父の知り合いの実業家の笹田数雄と結婚。
- 笹田繁子が生まれる。
- その後、4人の子供に恵まれる。
- 後輩の韓国生まれの島田廣(本名・白成珪)と不倫。
- 子供5人置いて家を出る。
- 1943年に「芸術は初心であれ」のスローガンをもとに服部・島田バレエ団を設立。
- 1946年 東、服部、島田、貝谷、小牧が集まって東京バレエ団を作り、戦後の焼け野原の東京で全幕「白鳥の湖」を帝国劇場で上演。
舞台美術:藤田嗣治、顧問:蘆原英了 - 1965年夫婦でフランスに渡る
- 1974年日本バレエ協会初代会長
- 1984年「第7回全国合同バレエの夕べ」のリハ中に倒れ、死去。75歳。
かなりざっと書いたけど、これだけでもお腹いっぱいすぎる経歴をお持ちだった。
最近、最初のお子さんである笹田繁子(ワトソン・繁子)さんについて書かれた本を読んでいる。彼女自身もエリアナ・パブロワに学んだ1人であり、バレリーナだった。
彼女もまた彼女の母同様、数奇な運命で最後は2003年に自宅のあったメキシコで亡くなっている。
その母である服部智恵子はロシア、ウラジオストックに1908年に生まれた。本によると、滋賀県で日本人の母から生まれたとあるが、一説には母はロシア人となっている。本書でも繁子自身が
「母はスラブ系の顔立ちだった。」
と語っている箇所があるから、下記に記す、繁子の出生同様、謎に包まれている。
ともあれ、サンクトペテルブルクでバレエを学び、アンナ・パブロワの同期にも師事した。
しかし、1917年のロシア革命により貿易商であった父の財産を没収され、父も病に倒れ、1925年に日本に戻り、エリアナ・パブロワに付いた。ロシア語が堪能だった彼女は生涯日本語が不得意だったエリアナ・パブロワの通訳となって彼女から2円80銭の給与を得ていた。
1946年の東京バレエ団(現在の東バとは一切関係ない。むしろ今の日本バレエ協会の前身)の際には服部・島田、東勇作、貝谷百合子、そして上海バレエ・リュスで活躍していた小牧正英を加えて日本初の白鳥の湖を上演した。
が…
やはり、個性の強いお金持ちのご子息、ご令嬢、喧嘩が絶えなかったようで…
その次の公演には服部・島田が抜け、さらにその次には小牧も抜け、統括していた蘆原英了も抜け、1950年を最後にこのバレエ団は解散となり、最終的には口も聞かないくらいの仲違いをしたらしい。
服部はバレエの傍ら、ロシア大使館での通訳の仕事もこなし、1956年の鳩山一郎首相の秘書として日ソ国交回復調印式に出席し、1957年のボリショイバレエ団の初公演に漕ぎつけた。
フランスから帰国後は日本バレエ協会の初代会長となり、「服部ママ」の愛称で親しまれた。
「ワトソン・繁子: バレリーナ服部智恵子の娘」と言う本の筆者が、島田廣に直接インタビューした時の逸話が語られているのが実に興味深い。
彼自身は韓国出身で、慶應義塾大学に入学するため、親の反対を押し切って日本に来たが、結局、親の許可書が間に合わず、日本大学芸術科に入学。その当時にエリアナ・パブロワの元でバレエをはじめ、服部と出会った。
彼が1919年生まれで服部が1908年生まれだから、11歳差である。
「彼女と僕との間はボーヴォワールとサルトルの関係だ、と言えば一番分かりやすいと思います。」
と島田廣が語っていたと言う。
ボーヴォワールとはシモーヌ・ド・ボーヴォワールというフェミニズムのフランス人女性の先駆けのような存在で、哲学者ポール・サルトルは映画「アメリ」にもその名が出てくるので知っている人も多いと思う。
2人は常にオープン・ラブな関係であって、束縛しない約束という関係であった。
(とは言え、現在はモンパルナス墓地の同じ場所で眠っている)
また、筆者が繁子を慕う人から
「服部智恵子に傷がつくから」
という理由で取材を断られたこともあるらしいが、それを筆者が繁子に直接話すと、
「母は”傷がつく”といった話題が行き着くちっぽけな次元などは、とうに超えて堂々と生きていたわ。…」
と繁子本人が語っていたと言う。
ただ、服部智恵子本人は亡くなるまで、繁子の父親が誰であるかを語ることはなく、貿易商の笹田数雄の長女ということで生きてきたが、外見もさることながら、治療で行った歯医者で
「あなたの顎の形は東洋人のではない。」
と言われるなど、繁子自身、自分の出生について生涯気にしていたらしいが、筆者がインタビューした昔のバレエ関係者の中には、
「繁子ちゃんだって、気にも賭けてなかったわ。」
「今更掘り起こして、何の意味があるのかしら。」
という人達もいたらしい。
幼少期は、
「鼻高、鼻高」と揶揄われるなどしたというから、今の欧州でアジア人差別があるか?というものの全く逆バージョンだったことが窺える。
しかし、戦争中、敵国の者ではないかと疑われ、身分証明書の提示を日本軍から要求された際には父である笹田数雄が自分の長女であることを証明し、大きな愛で包んでくれていたと懐古している。
笹田は服部智恵子が懐妊している事を知った上で結婚しているのだが、繁子をはじめとする子供を全員置いて家を出て行った服部智恵子とその不倫相手であった島田廣のスタジオを訪ね、資金援助を申し出たという。
もう、驚き以上の何物でもないが、さらにすごいのは
服部が笹田家を出て行った後も、服部智恵子の母は孫たちの祖母だからと言うことで一緒に住み続けていたと言うから、もうその辺の男性とは比較にならないほど、一枚も二枚も格上である。
服部智恵子は日本バレエ界の歴史においては欠かせない超重要人物の1人ではあるが、私生活は波瀾万丈で恋大き女性であったことが本にも記されている。
以下は日本のバレエ界初期の重要人物
| 名前 | 生年 | 没年 | バレエ団名等 | その他の情報 |
| エリアナ・パブロワ (霧島エリ子) | 1897 | 1941 | 鎌倉 パブロワ・バレエ・スクール | 貴族?旅芸人? 慰問先の南京で死去。日本に帰化 |
| オリガ・サファイア | 1907 | 1981 | 日劇ダンシングチームのバレエ教師 | 日本人外務官の妻 ロシアのダンサー |
| 橘秋子 | 1907 | 1971 | 橘秋子舞踊研究所(橘バレエ学校の前身) | 実家、宇都宮の家格の高い農家 |
| 服部智恵子 | 1908 | 1984 | 服部・島田バレエ団 | 父、ロシアで貿易商 |
| 東勇作 | 1910 | 1971 | 東勇作バレエ団 | エリアナ→オリガに師事 |
| 牧幹夫 | 1909 | 1970 | 牧阿佐美の父、インド舞踊研究 | 実父、宇都宮で弁護士 |
| 小牧正英 | 1911 | 2006 | 小牧バレエ団(現国際バレエアカデミア) | 岩手県の富裕層の家(醤油販売商店)、画家を目指 |
| 松尾明美 | 1918 | 2013 | 松尾明美バレエ団 | 1946の全幕白鳥でオデット/オディール。渋谷区生まれ |
| 島田廣 | 1919 | 2013 | 服部・島田バレエ団 | 韓国生まれ |
| 貝谷百合子 | 1921 | 1991 | 貝谷百合子バレエ団 | 父、九州の代議士、規格外の富豪 |
| 谷桃子 | 1921 | 2015 | 谷桃子バレエ団 | 父、兵庫県で外国の商社勤務 |
| 近藤玲子 (貝谷の姪) | 1923 | 2009 | 読売ランドの 近藤玲子水中バレエ団 | 宝塚で扇千景や淡島千景を指導 |
| 松山樹子 | 1923 | 2021 | 夫、清水正夫を団長として松山バレエ団設立 | 父、兄共に競馬調教師、鹿児島出身 |
| 薄井憲二 | 1924 | 2017 | 東大出身、東勇作バレエ団所属、元日本バレエ協会会長 | 東京生まれ、戦後、4年間のシベリア抑留 |
| 太刀川瑠璃子 | 1927 | 2008 | スターダンサーズバレエ団 | 成蹊小学校、東京女学館卒業 |
| 大瀧愛子 | 1928 | 2007 | 大瀧愛子バレエ・アート(タカラジェンヌの指導で有名) | 1953単身渡米バレエ留学 |
| 日本バレエ協会 | 1958発足 | 1946東京バレエ団が発端 | 1957のボリショイバレエに影響され、再集結 |
【余談】日本の上流階級で育った笹田繁子は三島由紀夫とは社交界で知り合いであった。話題はもっぱらバレエのことと、著書に記されているように三島はバレエ好きでもあった。
戦前、戦後当時の上流階級の人々の暮らしは一般人の苦しい生活とは異なるものだと考えさせられた。
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