🩰バレエと暗黒舞踏の土方巽とニジンスキー、そして文学。西洋的な美とアングラで繋がる世界。

大学の最終論文がやっと提出できそうな状況である。全五十数枚。

正直、大学生がこんなに大変だなんて思いもしなかった。でも、勉強することで、もっといろんな知識が欲しくなる。

勉強というのはバレエと同じで終りがない。常に更新し続けることを要する。

勉強やバレエを追求すると、そこで初めて、知らないということを知る

知った気になっているのと、ひたすら調べ続けるのでは訳が違うと思う日々が続いている。バレエの奥の深さは今更語る必要もないが、バレエを追求しようとすればするほど、迷宮入りするのである。

そして、この最終論文の際でも壁にぶち当たっている。

土方巽。

彼についてここ、フランスで学び始めた。それまでは名前は聞いたことがある。という程度だった。

暗黒舞踏の祖である彼は、実はバレエも少々やっていた。現存するバレエ団の公演にも出たことがあるのだが、暗黒舞踏を始めて、バレエ的な、言わば、西洋的な「美」を全て消し去った。

それはニジンスキーの影響を受けた土方巽が彼に傾倒した結果であったのかもしれないが、彼は宇野氏との対談の中で、ニジンスキーが劇場を肉体にしてしまったと答えている。

そして、その対談で、土方は舞踏にバレエは必要ないと語っている。バレエの「西洋的美」はアングラな世界では必要ない。そこにはおどろおどろしい表現があり、肉体があった。病み劣れ、死に至る肉体を表現する。それこそが暗黒舞踏だった。

ニジンスキーと言えば、ロシアのバレエダンサーであり、30年間に渡り精神を壊し、その後死去したのだが、ディアギレフ率いるバレエリュスの看板としての成功は輝かしく、今でもバレエファンなら知らない人はいないダンサーの1人である。

薔薇の精などの浮遊はセンセーショナルで、当時彼の踊りを見た人たちは彼がジャンプした後に空中に止まっているのではないかという錯覚に陥るくらいの衝撃を受けたと言う。

しかし、彼の振付作品として、牧神の午後や春の祭典を1912年にパリで初演した際、完全にクラシックの要素とはかけ離れた動きが当時の人々を困惑させた。

その動きは今までの古典の動きである優雅さや浮遊感とは程遠く、セクシュアル的な要素が強かったため、卑猥、野蛮、狂気と観客からの反感を買ったとされている。その一方で、アヴァンギャルド的な批評家たちは高く評価し、21世紀の今でも度々上演される作品となっている。

ディアギレフとの性的関係があった彼がその後、女性と結婚したことで、ディアギレフの反感を買い、バレエ・リュス退団へとつながるわけだが、「牧神の午後」はディアギレフの死によって、バレエ・リュスが解散へと至るまで同バレエ団のレパートリーとして上演され続けた。

下記はルドルフ・ヌレエフによる牧神の午後。

健康的な調和の取れた肉体を魅せるクラシックバレエの動きとは異なり、非バレエ的な動きに触発された土方がその後、1959年、三島由紀夫の作品である「禁色」を舞台化した事で暗黒舞踏への第一歩を迎えるわけでだが、三島由紀夫は美しいと言って気に入り、その後、アングラの代表とも言われる澁澤龍彦ら文化人との交流により、舞踏家としての土方の存在は次第に大きくなっていった。

昨年夏に東京で行われたアスベスト館の展示会では夥しい量の写真や新聞記事が展示されていて、世界で「Butoh」と言われるものの原点がここにあるのだと思うと感慨深かった。

今こうやって、フランスに住みながら日本人の舞踏家や文化人について調べる機会が増えてくると1960年や1970年代の時代背景という時代の重要性が増してくる。高度経済成長下での学生運動や、三島の死など、戦後の戦争を知らない若者たちと戦争中に青春時代を過ごした者とでは時代の捉え方が異なった。

土方巽は秋田から20歳で上京後、舞踊を学びだしたのだが、その後、交流があった澁澤龍彦は

「芸術というのは職人というのでなければダメだ」、と語っている。

そして、土方自身は、

「ニジンスキーは牧神の午後で世界を変えた。」

また、

「日本人はクラシックバレーをやると安心して、この人は基礎的なものがあるから、デッサンがしっかりしているとなってしまいますね。」という宇野氏の問いに、
※新聞記事のバレーをそのまま引用。

「クラシックはやる必要なはいんですよ。 …(途中省略)… それを技術化したのがニジンスキーなんですよ。ヨーロッパの美学というのは精神が肉体に上昇していって、肉体というのが寝たり、食べたり、水をあてがっていくと、ただ育つというものだったそうですけど、彼は生まれが作男で悪魔がつきやすい肉体であって東洋的ですね。」

と答えている。

ニジンスキーが東洋的だったと言うのは私自身思ったことはないが、土方巽はこの時代、すでに未来を見えていたのではないかと思った。

終戦を多感な10代後半で迎えた土方巽の「肉体美」は「肉体の闇」と本人が語っている通り、肉体は劣れえるものであり、かつ、裸になれば全て同じだから、裸そのものも衣装であるという独特の概念を持ち合わせていた。背中を丸め、胎児のような動きで舞台上で見せる姿は交流のあった三島由紀夫の「美」とは対照的な感覚であったが、三島は土方の舞台を好んで見ていた。

三島由紀夫はギリシアのアポロン像や聖セバスチャンの絵に見られるような均整の取れた肉体に魅了されたのに対し、土方巽は肉体の歪みや老い土や死のイメージ、一般に醜いとされるものへの傾倒により暗黒舞踏を生み出すことになった。

対照的な環境で生まれ育ったこの2人の「美」に対するロゴスそのものが異なり、それによって「文化的概念」に対する捉え方も対極である。

ロゴスの概念で語ると、「バレエ」という単語の日本での使われ方とフランス語では大きく異なる。フランス語では古典舞踊と書く。だから、日本のバレエという単語と、フランスのそれとでは同じロゴスであっても概念が異なるのではないかと最近、さらに思うようになった。

バレエの古典「作品」に対するアプローチ一つとっても、日本の追求の仕方とは大きく異なる。ここで私がバレエ批評をすることは控えるが一つの作品に対しての捉え方が異なると、バレエ団の方向性も異なる。それはパリ・オペラ座バレエ団のクラシック作品を見始めて、日本のバレエ団を見ていると同じ振付家の作品であっても明らかに解釈が異なる点が見受けられるのである。

様々なものの捉え方が、各個人で違うように国単位でも異なる。三島と土方のように「美」というものに対して、都会的な、洗練された要素で捉えるのと秋田の田舎の田園風景、鎌鼬を彷彿とさせる大地を感じるのとでは文化的意味合いも大きく異なる。

しかし、そこに共通するのはお互いに対するリスペクトであり、当時の文化人たちは価値観の違いこそあれど、お互いの存在に対して敬意を払っていたのだと改めて感じる学び、そして私が生きた事のない激動の60年代にタイムスリップしたような感覚さえあった。

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村 演劇・ダンスブログ バレエへ
にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
PVアクセスランキング にほんブログ村

Yoshiko

元シングルマザー&元クラシックバレエスタジオ運営・代表講師。フランスの大学に行くため一念発起して長期学生ビザ(visa étudiant)を取得して母娘でフランス移住🇫🇷一度目のフランス長期ビザ却下をえて、現在パリ郊外で田舎暮らし中。

おすすめ