🩰バレエ教室はバレエを学ぶ場所。バレエと受験に両立とその後の学業のために。
どこの世界でもあいさつは大事である。フランスは特に「ボンジュール!」を言わないと、接客してもらえないことも多い。
なぜならお客様が神様ではないから。
日本だと、お客様は神様的な目線で、店員さんが挨拶しても無視したり、敬意のない話し方をする人たちも一定数いてそれがまかり通る。そこにはこっちはお金を払ってる。だから、立場が上だという錯覚が生じている。
しかし、あいさつは最低限のマナーだと思っている。
だから、私がバレエスタジオ経営をしていた時は始めと終わりの挨拶だけはきちんとするようにしていた。(特に小さい子)
ここ最近思いがけず、日本のバレエ界の矛盾をもう一つ発見した。
「躾」「見た目」「規則」
を重視する保護者が多い反面、
「お月謝以外が高い」
「コンクールの結果が出ないから移籍したい」
「自分や子供がプロになれなかったのはバレエ選びに失敗したから」
「上手な子達ばかり見てうちの子は見てもらえない」
と嘆く保護者がいる。費用対効果を考える。
バレエ講師の中には、「躾」「規則」には厳しいが「バレエの指導」は上手くないバレエ講師もいるかもしれない。
また、「見た目重視」だけど、「コンクールの結果」には繋がらない場合もある。
逆もまた然り。
でも、絶対に言える事はバレエを大人まで続けてきた人は皆バレエに対し、必死である。下記に書くが生活も必死である。
綱渡り状態。
そして、めちゃくちゃ指導力のある先生がいる反面、器用不器用で生徒や保護者の前で上手く立ち回れない人たちも多い。
「躾」「規律」を重視した上で「バレエ指導力」「コンクールの結果」が出るのが最良だとは思うが、「学業」「考える力」が疎かになる場合もあり得る。
全てをパーフェクトに行うバレエ講師がいたら最高だが稀だろう。
しかし、バレエというのそもそも芸術という非認知能力、自肯定感を育む場所であって、躾教室ではない。多分、世界中どこを探しても
「うちのバレエ教室は躾教室も並行して行います。」
と書かれているところはないと思うが、例外的に日本にはあるのかもしれない。
ただ、躾や規律遵守の指導をして欲しいのであればバレエの先生に頼まず、マナー教室等のそれ専門のプロに「金銭を払って」やってもらうのがベストであろう。
なぜならその道のプロだから。
バレエはバレエ教室。
中学受験の勉強は塾。
躾はマナー教室がある。
全部有料。
もしも、マナー教室の講師が、マナーや躾を教えるのは料金に含まれます、そして無料オプションでバレエも教えます。となったら?
それはプロである他人の領域を侵害していることになるし、その道のプロでもない人が表面的な他のことをオプション的に行い出したら収拾がつかなくなるに違いない。
私はコンクール主義ではないが、多くの保護者がバレエ教室移籍の際に考えるのは、コンクールの入賞結果というのを横目で見てきた。そして、保護者はその厳しい目でバレエ講師の服装などを見て入会を決めるだろう。表面的な見た目は、もちろんどの世界に行っても大事である。
しかし、国際コンクールに多く入賞していて、海外バレエ留学を多く出しているようなバレエ教室の場合、安くはないところが多いし、実際、コンクールの結果を出している子はいつも決まった常連の子達、という視点を見過ごしているかもしれない。
ここに入会すれば、我が子はトップを目指せる!と思っても現実はそうじゃないかもしれない。
入会してみないとそのバレエ教室のことは分からない。
隣の芝は青い。
でもそういう教室に入会、移籍した場合、保護者の多くはお月謝に見合っただけの付加価値を要求しがちだ。そして自分の意が組み入れられない場合はすぐにバレエスタジオ移籍。
これが最近とても多いパターン。
だから、バレエ指導者も保護者の意に合うような指導に自ずとなってくる場合もある。バレエ講師も人間であり、神ではない。
また、一方で、バレエダンサーの中にはバレエを踊ってお金を稼ごうとする事は心が卑しい、バレエ愛が足りないとする声も存在する。
バレエダンサーやバレエ講師には美しさ、厳格さを追求する保護者が多いのに対して、バレエ関係者の中にはバレエダンサーは踊ることを追求するものであり、踊りを愛するものだからそこに金銭的な要求は芸術家としての精神が不足している。
芸は身をこやして専念するものであり、お金のためにやるものではないという論理。
でも、
男性バレエダンサーには、個々に見合ったギャラやその他にかかる費用はそちらで負担してね、というもの。
つまり、
女性バレエ講師の多く(全てではない)は保護者から、
子供の躾、厳格さ、規律、バレエ講師自身の見た目の美しさなどの容姿を求められる。
一方で、自分が国内で踊るとなれば仲間内であるバレエダンサー(特に男性の声が大きい)から、
バレエにお金を追い求めてはならぬ。
芸術家たる者、貧困の中でも魂の叫びを客席に届けるのだ!
舞台で踊らせてもらってる喜びをエネルギーに変えるのだ!
という板挟みにあってる可能性もある。(もちろんその限りではない。)
また、バレエを習わせている裕福な家庭の中にはバレエダンサーになるために頑張っている場合もある。そういった場合は中学受験も視野に入れており、裕福な家庭が多い。
貧困率G7最下位の日本の現状は彼らには別次元の話である。
なぜなら週4、5回バレエに通わせ、発表会代にコンクール代。そして、遠征費も考えたらバレエ代だけで100万前後。そして、塾代も子供の学力が高ければ高いほど跳ね上がり、年間100万円前後にはなる。
塾にサマースクールや特別クラスがあるように、バレエにもバレエ合宿やコンクール特別クラス、または個人クラスもあるバレエスタジオもある。
それらを一切受講せず、我が子の学力が上がらない、我が子のバレエレベルが上がらないと嘆いている保護者がいるのだとしたら、それは「課金」が足りてないと言うこと。
塾もバレエもフルで金額払ってるのに結果が出ないのであれば、それは塾講やバレエ講師の力不足、または生徒との相性なのかもしれないが、その原因は一口には語れない。
また、バレエに人生を賭けようと思った時や自分達の子供がバレエ講師の意向で学業を差し置いてバレエに専念した場合、子供の学歴が中卒ないし高卒で学歴が終わるかもしれない。(私は中卒でお金で困ったことはありません、という先生もいらっしゃるとは思うが、全員困ってないわけではない。)
だとしても、バレエダンサーになれさえすればいいと考える人も少なくないのだろう。
将来的なお金はどうにかなる、私たち親である私たちが払う、と。
それならそれでいいと思う。子供が中卒・高卒でその学歴を終えようと保護者に金銭面の余裕があれば、私がその低学歴を問題視すること自体が烏滸がましい。
ただ、そんな裕福な人たちばかりではない。周りを見渡せばいろんな人たちがいるのだから。ギリギリの家計の中で子供の夢を追っている家庭も少なくない。
実際問題、私のブログで取り上げているように近年の少子化の影響はバレエ界でも他人事ではない。それに加えて別ジャンルの現代にあったダンスの存在が大きくなりつつある。
少子化ということは子供のバレエ受講者が減るということ。
つまり、数多あるバレエ教室に対して、子供の割合が減り、そこに熾烈な競争社会がもたらされることになる。
何度も私のブログで書いているのだが、今YGP Japanなどで入賞者多く出している先生達はトップ・オブ・トップのバレエ講師達であり、そのピラミッドの下にはものすごい数の生徒集めに苦労しているお教室がすでに多くある。
数年後、または20年後に大人になった今の子供達はバレエ教室を開く場所をどこにするか考えるべき問題だろう。まさか、子供の時に通っていた稽古場の隣に新しい稽古場を作るわけもいかない。
先を見通す力、考える力、子供を導く事、それは保護者が身につけるものでもある。
他人ではない。
バレエと中学受験の両立で悩んでる保護者は少なくないのかもしれない。
それならば、保護者が自ら本を読み学び、その知識を子供に与えてあげれば子供は自ずと成長し、自発的に幼い頃から考える力が身に付くのではないかと思う。子供は保護者の背中を見て育つ。
親鳥が雛達に飛び方を教えるように。
そして、人生の後悔がないように。
学校やバレエ教室に委ねるものではない。
だから、もし子育てで困ったら、保護者がいくらでも理解できるまで本を読み漁ればいい。
日本の場合、子育て本は無限に近くあるのだから自分の知識を増やせばいい。バレエと中学受験で一番勉強が必要になってくるのは保護者の人間性なのかもしれないと私自身の戒めのためにも再考する。
そうやって保護者が子供を導くことで自分が本当にやりたい事を子供自身が見つけ、そのために今できることを探すようになるのではないかと思う。
バレエダンサーになりたければバレエに集中する事だし、怪我でバレエができないのを治したいと思えば医者の道もある。
そう言う点で、総合的に考えると
やはり、教育や躾は各家庭でやるものだろうという考えは、拭えない。
バレエの先生や学校の先生の負担、重圧が凄すぎる。失敗すれば、簡単にバレエの先生のせい。中卒や高卒だから、教養がない…と噂が広まる。
だから、バレエ教室で規律を多く設ければ、保護者は安心するパターンが多い。それはバレエ教室として非常に賢いやり方だとも思う。なぜなら、規則で縛ることにより、保護者が従順になるのは私自身の学生時代に経験しているから。
しかし、実際には男子校だが麻布中学校や公立高校ではあるがトップクラスの高校はルールが存在しないところが多い。
女子校は逆に制服があり、規則の中で鉄緑会などに通い、日々上を目指して勉強と向き合っているところもあるが、制服はあっても自由な校風なところもある。様々。
子供達自身が満足いけばそれでいい。規則の中で生きるのが好きな子もいれば、私のようにはみ出し続けている子もいるのだから、その子の個性に合うのが一番だということ。
私の教え子の公立高校は学力レベルが高い高校だったが、校則は下駄と馬での通学禁止というものだと言っていた。だから、考える力があるだろうと学校側が生徒を信頼している場合は、校則や規則というのは少なくなるものなのかもしれない。
私の娘たちも中高生ながら、それぞれ自分の道を考え始めている。長女は大学受験を考え、次女はフランスでどの高校に進学希望かをすでにネット上で提出してある。人生の道は長い。
少なくとも考える力だけは身につけているのではないか?と思うが、それは彼女達の人生が終わる時にハッキリする事で、母である私が現段階で子育て成功、失敗を語るのは無駄である。
母は見守りつつ、求められた時にアドバイスを述べるのみに最近は徹するようにしている。
バレエと学業、バレエと非認知能力、学業と非認知能力、この狭間でうまく立ち振る舞えれば自ずと答えは見えてくるに違いない。





