🇫🇷時代の流れで失われ行く各国の伝統や文化。フランスの田舎で移民として暮らして。
大学の最終論文の一環で、村役場の人達に、私が住む村の歴史を一時間半にわたり聞いた。
自己主張が激しい移民が多くなれば、その分その土地の伝統が失われる…。
そんな事が脳裏を過ぎる古き良き時代の語りを聞くインタビューだった。
以前も書いたが、
難民、移民の多くは形式合理性のもとで、新たな土地で生活する。つまり、自分たちの目的があって、移り住む。(むろん全ての意ではない。)
一方、受け入れる側の国々は実質合理性の論理に基づき、移民、難民を受け入れる。しかし、この二つに属する論理は相容れない。それは社会・経済学者のマックス・ウェーバーが語っているところである。
だから、形式合理性に基づく論理を今日本で話題になっている事柄で具体的例を挙げてしまえば、
【前提】
私たちは日本での難民、移民だ。
【方法論】
受け入れた側は私たちの文化も受け入れてほしい。←目的。
- 産婦人科で女医さんにしか頼りたくない。
- 給食にハラルを導入してほしい。
- 土葬を許可してほしい。
等々。
形式合理性の考え方としては、一番自分たちのやりやすい、手っ取り早い方法で目的を達成しようとする。
一方、受け入れた側の国(日本に限らず欧州も)は、
【前提】
困っている人達を助けるのは当然だ。
【方法論】
協調性を保ちつつ、お互いの文化を尊重しながら自分達の国も理解してもらおう。歩み寄っていこう。または、文化をも受け入れ、お互いの良いところを吸収し合い、未来に目的をつなごう。←実質合理性
という、全く考え方が相容れない状態である。
また、最近では日本ファーストの考え方に対して噛み付く日本人も多い。
「もっと海外出て、勉強した方がいい。」からに始まって、「頻繁に日本はナショナリストが多い」、「閉鎖的だ」、「多様性がない」、「夫婦別姓がない」、「LGBTQ+の人たちに優しくない」などの意見が多いが、実際、どうだろう。
日本は確かに息苦しい面もあれば、寛容なところも大いにある。
たとえば、LGBTQの方達に対しては寛容なところも多いのではないかと、以下の動画を見て思う昨今である。
三島由紀夫自身も自叙伝的様子が強いと言われる仮面の告白で、同性愛についてを綴り、それが24歳の時の出世作となった。もし、日本が同性愛や多様性がない国なのであれば、この小説自体がその時代に受け入れられる事はなかったのではないかと思う。
それに反して、イスラム教は同性愛は禁止である事は周知の沙汰だ。そして、閉鎖的であり、多様性も少ない。(もちろん全てのイスラム教徒がそうではない)
※私の友人(日本に住む友人もいれば、フランス人に住む友人もいるし、デンマークに住む友人もいる)にもイスラム教徒はいるが、豚肉もお酒も飲む人が多い。ヒジャブも私の周りのイスラム教徒達はしてない人の方が多い。
多様性推進派、移民推進派が移民にも権利がある!権利だ!と言い出したら、今まで平和にやれていたはずの2丁目界隈をはじめ秩序が保たれなくなる可能性もある。とは言え、フランスにおいてマレ地区に危険がもたらされたという話は聞いた事はないが、日本は「おもてなし」精神で、クレーマーや強い声の外国の人の声を寛容に効く傾向があるから、主張すれば自分達の意見は通ると一旦分かると後には戻れなくなる。
※奄美大島の外来種であるマングース駆除がどれだけ大変だったか、奄美大島固有の生物の個体数の減少は偶然ではない。
そして、最近になって特に多様性推進派、移民擁護側は、「土葬は移民の権利!」、「刑務所でハラルを導入するのも権利」などいう人もいるが、昔、渋谷のセンター街でギッテレ(偽造テレホンカード)を売っていたアラブ系のおっちゃん達はそんな事は騒いではいなかった。
つまり、最近の移民と以前の移民は日本という国に対しての受け止めて方が違うんではないかと思う。昔のギッテレ売ってたアラブ系のおっちゃんは日本にもっとリスペクトがあって、渋谷界隈のギャルに溶け込もうとしていたように思う。
そして、1番私が主張したいのは移民を入れる前にバレエダンサーに安定した給与やポアントを支給してほしいと言うことに尽きる。
欧州で移民を多く受け入れている国はバレエダンサーの生活も同様に国が支えている。
その事実を忘れてはならない。
日本の移民推進派の人はその国内の芸術に対するサポートが足りてない事実は二の次なのだろうか?
国内に住む日本のバレエダンサーの厳しい生活は見えていない。
移民には権利はあっても国内のバレエダンサーには権利はないのだろうか?
上記のビデオでも差別と区別は違うものと語っているが、移民推進派が主張する権利は差別と区別を履き違えている例も昨今は多いように思う。
フランスではストライキや自分の主張は権利として受け止められるが、日本では「人に迷惑がかかるから。」という事で、電車がストライキになることはない。バレエ公演がストライキになることもない。
国が違う。
日本には、日本古来の伝統や習慣がある。
たまに、外国生活が長い方の中で、「日本は海外のような多様性がない!」という発言をされているのを見るが、日本固有の独特な価値観は二の次にして、欧米諸国化?
移民をもっと大切にし、移民の声を聞くべきだ!とい言うのだろうか?
もし、そんなことを言い出したら、私の親戚が多く住む宮崎の日南のおばちゃん達や西都のおばちゃん達はみんなひっくり返るに違いない。
「どんげ、しよったらいいか〜?おばちゃんよ、えーごはちーっとも分かりんかいよ…」(どうしたらいいだろう?おばちゃん、少しも英語分からないわ…)などと困り顔で言うのが目に浮かぶ。
※大正生まれだった叔母達は外国人は全て英語話す人だと思っていた。
そんな愛すべき私の叔母達は、宮崎市内に住んでいた私の祖父母に会いに行くために、「大都会に行く。」という理由で持ってる服の中で一番「上等」(この言い回しも叔母達が使っていた私の好きな言い回し)を着て、普段はしないお化粧を施し、田舎の人と見られないようにものすごい気合で泊まりに来ていた。
山形屋と言う当時、一番栄えていたデパートに行くとなったら硬直。
そんな愛すべき叔母達。
外国人には会った事もなかった。
だから私が以前、外国の友人を連れて宮崎に帰省した際、叔母の家にも立ち寄ったら正座を一切崩さず、固まっていた。
そんな叔母達に多様性だ、もっとグローバルに!なんて言うのは全くもってナンセンスであり、彼らは彼らの文化、生活を大事にしてその土地に根付いて生き、暮らしを楽しんでいた。
そういう場所は、個人的には未来永劫そのままであってほしい。
今のフランス。
移民政策が成功していると語る人もいるが果たしてどうだろう。
私自身は、フランスで完全に移民だが、自己主張して自分のやりたい放題やりたいとは個人的には思わない。ウチが神道(宮崎には神様が多い)だから、万物に神は有する!と主張すれば、一神教の人々とは大いに噛み合わない。
フランス人お得意のこれを言う、主張する「権利」はあるだろうが、そこで衝突すればただ事では済まなくなるのは明白だろう。
日本には日本独自の文化、習慣があるように、それぞれの国には元々文化、伝統、習慣があった。
「グローバリズム」を正当化しすぎるとその国古来の伝統や文化は薄れ行く。
それをフランスの田舎の村役場の年配の方にインタビューして特に考えさせられた移民問題。
遠い昔を思い出しながら語る村役場の2人の様子は何とも言えないノスタルジーが漂っていて、外国人でこの村に移民としてきた私はもっと、この村の歴史が知りたいし、貢献できる事があればやっていきたいと思った。
それと同時に、日本人が日本を好きなのは当然はないだろうか、と言う思いに駆られた。
それは言わば、当然で、その価値観自体は昨日私が書いたデンマークにまつわるブログに関連する。
価値観は個々の人間でそれぞれ違う。
同じ日本人、デンマーク人、フランス人と言ってもそれぞれの立場、育ってきた環境、大人になって生きてきた環境、性別で全ての考え方や世界の見え方が異なるだろう。
私は他人に私の意を押し付ける気もなければ、自分の文化をこのフランスで押し付けようとは思わないが、私の周りにはありがたいことに親日かが多く、村役場の人たちも何かきっかけがあったら、是非、村のお祭りで日本文化についてやってちょうだい!と言われている。
断る理由もないので、もし頼まれれば日本文化を紹介することとなる。
でも、当然のことながらその国が大切にしている、つまり根幹となるところに自分の価値観を押し付ける気は毛頭ない。
それは個人の選択であり、もしも日本文化をもっと知りたいと言う人があれば喜んで対応すると言うだけの話である。
形式合理性の論理で、自分たちの価値観のものさしだけで見る人たちが増えてしまったら、その国らしさ、その国が今まで大切にしてきたものは徐々に崩壊してしまうのではないか。
それがこの小さな村でも村役場の2人の話から垣間見えた。
今、私はここフランスで移民として住まわしてもらってるからこそ、村役場の2人がこの小さな村の自分たちの歴史を「あー、あの頃はこんなことがあった。」「こう言う人がいて…」「そうそう!こういうイベントがあったの!」「小学校は何もなくて、こんな感じだったの!」と昔を思い出しながら楽しそうに、何度も「そうだった!」「あ、そう!それで、誰々さんがこうしたのよね。」と話すのを聞いて時代の流れで移民を受け入れることも大事だけれど、その国、もっと小さく言えば、その土地の伝統や「思い」というものにこそ、魂があるんじゃないかと、最近思うことが多くなった。
先日、久しぶりのデンマーク旅行でホスト家族と再会し、いくつかの街、パンケーキのような大地の景色を見て、変わるものと変わらないもの、普遍的な土地に対する愛着というのをさらに強く考えるきっかけになった。





