私が世界一好きな場所。
それは宮崎県。
理由はシンプルで幼い頃から毎年1ヶ月は滞在してた場所だから。
ここで免許も取った。
だから、カーナビなくてもわりとどこにでも行ける。
山があって、海がある。
自然が豊かな場所。
宮崎の人に言わせると逆にそれしかないと言う。
水が美味しいせいか、野菜をはじめ、食べ物も全て美味しい。
だから太る。
宮崎に行くと太る。
気候も温暖だけど、人々も温かい。
時間の流れがゆったりしてるし、宮崎弁を話す人の表情も明るい。
私の祖母は宮崎弁ではなく、日南弁。
101歳の今現在、歩行は困難ながら頭はシャキッとしている。
今回の日本への帰省は祖母に会いに行くのが最大の目的だった。
そして、祖母の暮らした土地や育った土地を写真に収める事。
大正13年生まれの祖母は、生後すぐに親戚の家に養子に出された祖母だけど、生家には10人の兄弟姉妹がいた。
小さな漁師街の昭和初期だから、祖母が物分かりするようになると近所のおじちゃん、おばちゃんが
「あんた、本当はあっこの家ん子だったっつよ。」
と教えてくれたらしい…。
田舎らしい心遣い。。。笑

それから月日が経って大人になった祖母は鵜戸神宮に程近い小学校で先生になった。

日南市の小学校で、ほとんど先生をやってたのではないかと思うくらいいろんな話が飛び出してくる。
でも、それも戦前の話。
戦中に結婚し、私の父が生まれた。
私の父の育った場所は日向灘沿いのめちゃくちゃ小さな集落。
台風が来ると波が家にまで来るくらいの海沿いの家だったらしい。
父の小さい頃は車通りもほとんどなかったから、幼稚園生になるかならないかくらいの父は近所のおじちゃんにもらったシイラ(体長70cm〜2mの魚)を数キロ引きずって歩いて家まで持って帰ったと言っていた。

そんな場所で祖母は父達兄弟を育てる中、宮崎市内に移った。
そんなわけで、祖母の若かりし時代にはいつも海があった。
その影響か私も海が好き。
特に青島辺りの海が好き。
でも、今はだいぶ寂れてしまって昔のような賑わいが全くない。
海水浴場まで続く道はびっしりと店が軒を連ね、どこもかしこも人で賑わっていた私の記憶とは程遠い現状に侘しさを感じた。

3年前に行った時にはあった店でさえ姿を消していて、時代の移り変わりを感じずにはいられなかった。
もう1人の祖母はもう亡くなってしまっているけれど、やっぱり宮崎。
こちらは海からは少し遠い西都原古墳群の麓。

夏のこの時期はひまわりで埋め尽くされている西都原古墳群は私が世界一好きな場所。
3世紀末から7世紀にかけて造られた319基の古墳群。円墳(286基)が一番多いけれど、前方後円墳だけでも31基もある。
そして、ここは写真でも見える通り、若山牧水が歌っている尾鈴山が一望できる。
「ふるさとの 尾鈴の山のかなしさよ 秋も霞のたなびきて居り」

ここの雄大な景色と太古のロマンである古墳群の中にいると、大概な事がどうでも良くなる。
春の桜と菜の花畑は圧巻で、以前はよくここで親戚の叔母達とピクニックをした。
秋はコスモス。
季節ごとに花々が咲き誇るこの場所では、その昔、昭和の初めの頃は競馬をやってたと祖母や叔母達が言っていた。
競馬といえば、馬。
そう、宮崎には野生の馬もいる。
岬馬。

広大な土地にいる野生馬に触れる事はできないけれど、間近で観察する事はできる。
遮るものが何もないから風が強くて立っているのもやっとだったけど、この雄大な土地に今回来れて、馬たちに出会えた事が嬉しかった。
今回、都井岬に行った話を祖母にしたら、祖母も喜んでいた。
日南市からは少し距離があるけれど、小学校に先生をしながらその辺は転々としていたらしかった。
また、宮崎で最も有名な場所と言ったら高千穂がある。
高千穂峡はとにかく有名。過去に数度行った事があるけれど、今回ほど驚いたことはなかった。
それは外国人の多さ。
ここは熊本県にも近い森の奥地。
見渡す限り何もない。
交通の便だってちっとも良くはない。
けれど、
ひと昔前の日本人団体観光客がそうであったように、旗を持った海外からの団体観光客で埋め尽くされていた。
天安河原も高千穂峡も、日本人の数よりも海外からの観光客の方が多かった。
天安河原、天岩戸神社などは日本神話で有名な天照大神が隠れた岩があることで有名。

けれど、多分、日本好きな(または日本オタク)観光客からはこの隠れた辺境の地が、日本人よりも知れ渡っているスポットの一つなのかもしれないと思った。
何より驚いたのは高千穂神社にたどり着いた夕方。
神主さんが1人静かにお掃除をされてる脇を通って御本堂に向かう長い参道ですれ違った中に日本人はおらず、ここも外国人観光客のみだった。
時代の流れ。
日本のバレエ界でも大きな変化を感じたけれど、国内の旅をしている中でもあらゆる場所でインバウンドの大きさに慄いた。
昔懐かしい景色。
変わらない景色と変わっていくもの。
青島の砂浜部分は明らかに40年前よりも少なくなっていて、温暖化の影響を、海面上昇の影響を受けていることを感じたし、宮崎という新幹線も通ってない、電車の便も良くない場所(もちろん飛行機があるけれど、個人旅行の場合、その後の交通手段は基本的にレンタカーが多い)に多くの外国人観光客がいることに驚きを隠せなかった。
私の身近な人たちの生活は何一つ変わってないように見えるけど、かつてのメインストリートである山形屋周辺は一ツ葉にできたイオンモールの後ろに影を潜め、かつて観光ホテルなどのホテルが立ち並んでいた大淀川周辺には大淀川を見渡せる大型のマンションが建ち並んでいた。
また、祖母の暮らした油津も、叔母達が暮らしていた西都もシャッター街となり、大昔に賑わった跡だけが何となく残されているばかりだった。
こうやって今回目にした日本社会の一般的な人々の傾向(トレンド)と日本のバレエ界の状況を重ね合わせてみた時に、今各地で声高に叫ばれている地方再生と言う言葉が脳裏によぎった。
バレエ界にも再生が必要。
先を見据えて行動しないとクラシックバレエ界全体の勢いが急速に、音を立てて崩れていくだろうと私の大好きな田舎の景色を見ながら感じた。
そして、フランスに戻った今も脳内を大昔に中学校で習った平家物語の序文が何度も何度も往来し続けている。
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
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