大学の集中講座が始まった。
ずっと病気で休んでいたクラスメイト(友人と呼ぶには歳が離れすぎてて…彼女に申し訳ない)も復活した素敵な月曜日。
付いていけるだけとにかく頑張る。
授業はダンスと詞、心、哲学、そしてバレエの舞踊譜!
舞踊譜について。
バレエの舞踊譜はルイ14世の統治化で作られたフイエ(1659-1710)の舞踊譜を始めとして現在普及されているのはラバンまたはベネッシュ夫妻の舞踊譜。
ただ、普及と言っても読める人は数が少ないし、一般的ではない。
そして、元クラシックバレエダンサーで、今、私の行っている大学の教授(普段は終始の教授らしい)による舞踊譜の講義があった。とても興味深くて、私的には抑える要点が多すぎて寝る間もないくらいワクワクしてたけれど、一人、南アジア出身の子の捉えた方は違った。
彼女はその舞踊譜入りのテキストが配られると放り投げるようにして横に置き、そのご教授が生徒への課題として出したものにも実践せず座っていた。
なぜか。
授業の後半で徐に彼女が放った言葉は、
舞踊譜が普及すれば、その分、心で踊る事ができなくなる。
ダンスは心で踊るものなのに、そこに人工的な記号が加わる事によってダンスが心で踊るものではなく、ただそこに書いてあるフリをなぞるだけのものになると。
確かに納得させられる意見だと思った。
その背景には彼女の国の伝統舞踊がある。日本舞踊のことは全くわからないけれど、彼女の国のダンス(伝統舞踊)は踊り手の手によって伝承されてきたから舞踊譜などはない。
実際、クラシックバレエにおいても舞踊譜は全くと言っていいほど普及されておらず、何ならクラシックバレエにおいて舞踊譜は存在しないと思っている人も多くいるのではないかと思う。
けれど、実はその伝統は古く、一番古いフイエのものを考えるとすでに300年ほどの歴史がある。
でも全く普及されないのは踊りに対して舞踊譜として残すのは未完成なものだから。クラスメイトの彼女が言うように一番普及されているであろうラバンの舞踊譜ですら未完成で、心を表現するのが難しい。
マスターの学生で一人だけ、このラバンの譜を読める人がいたのが驚きだった。
心、音の強弱、テンポなど、音楽とは全く違う譜面で動きを捉えなくてはいけないから書き残すのも困難。
その議論の中で、フランス人ではない欧米人のクラスメイトが徐に口を開いた。
たとえ、人間から人間へ伝えたとしても現代のクラシックバレエにおいては足をただ高く上げるだけとか、回転数を競うとか、表面的な振り写しと技術にだけを重きを追いた流れが目立っている。
と。
付け加えて、その中の表面的な踊りには「見せかけの心」はあっても
魂から湧いて出てくるような、
心の奥底を探って滲み出てくるような
魂のこもった踊りはない。
と。
さすが、芸術家も多く集まる大学生活。
20代そこそこの子から、私のような40代もいる。
私だけじゃない。
そして彼ら自身が一流のアーティストであって、自己研磨のためにわざわざ海外からフランスの大学に通っている。
欧米人の彼女はこの夏、国に帰って、バレエコンテンポラリーの振付家になると言う。
彼女の動き、一つ一つ(例えば腕を上げるだけとか、首を傾けるとかそんな細かい動きですら)がダンスで魂がこもっている。
言葉にも重みがある。
自分の喜怒哀楽を素直に思い切り出すところなどは特に芸術家らしいと思う。
先日の特別集中講座で彼女が選んだのはマッツエックの眠りの森の美女。
麻薬で頭がおかしくなったオーロラの踊りを披露したのだけれど、それこそ芸術だった。日本人がこの境地にたどり着くのはかなり苦労するだろうと思われる細かいニュアンスを汲み取って再現している事に感動した。
中には彼女の踊りを見てグロテスクだと解釈する学生もいて、授業中も議論になるほどの演技をしていたけれど、私はひたすら感嘆するばかりだった。
この物語自体がマッツ・エックのジゼル以上に精神きたしてる感じが素晴らしい。
踊ってるダンサー自体は絶対麻薬中毒者ではないだろうけれど、本物の麻薬中毒者のようにどこを見てるか分からない目線、彷徨っている心が汲み取れる。
挙動不審な行動。
表現し難い表情を浮かべるダンサー。
このバレエを見ていると本来のクラシックバレエとは異なり過ぎていて自分がどこの次元にいるのか分からなくなる。
私は個人的にはマシュー・ボーンの眠りが好きだけど、このマッツエックの解釈はよほどパンチが効いている。
この2点とも好みがあるだろうけれど、これも偉大な振付家が創作した一つの作品。
日本の「舞踏」と共に、多くの日本人の「クラシック」バレエファンには受け入れ難いかもしれない。
それでも芸術と言う観点から見た場合、これは心を動かされる偉大な作品の一つで、個人個人によって好き嫌いの好みはあるだろうけれど、このコンテンポラリーの作品に心がないとは言い難い。
それゆえに、舞踊譜でこう言う作品を語るのは難しいと言うアジア人の子の主張。
けれど、
今のクラシックバレエの特に小さい子のクラシックバレエのコンクールでの踊りを見てると心で踊るとは?
という疑問を多く持つ。
今年、秋に開催されるYGP Japanでは新しく9歳以下の部門が作られると言う。
クラシックバレエを心で踊ると言うことの難しさを理解して、表面的でないクラシックバレエというものがこの歳でできる子たちはどれだけいるのだろう。
本来のクラシックバレエはとても奥が深いもので、身体的にもきついものだから、フランスでは7歳以下の子供達にバレエを教えることはできない。
それまで何をするかと言うと、オペラ座の10、11歳くらいの生徒のデモンストレーションを見ていても、「歩く」「演技」が重視されていて「ものすごい踊り」にはなっていない。
最近、ここフランスで学べば学ぶほど、心で踊る、自分なりの哲学を持つということが非常に重要視されているのだと実感する。
今の日本のバレエ界の流れ、小さい子供を利用した商業的なバレエに変貌しているような気がしてならない。
小さい子供たちには夢があり、その夢に直向きである場合が多い。だからこそ、大人が作った箱の中で成績を残そうとする。
それこそが彼らが進むべき道だと思うから。
私がここで取り止めのない文章を書いているだけで、これから先もどんどんこの子供を利用した商業的な流れは日本においては特に加速されるのだろうけど、誰かが疑問を持たない限り加速する一方であろう。
アジア人、欧米人の友人のそれぞれの言葉を聞きながら、それぞれの国のクラシックバレエというものの在り方を漠然と考えた。
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