🩰ヌレエフやジョルジュ・ドンとパ・ド・ドゥで踊っていた唯一無二の日本のレジェンド。
下の子のピアノの先生にある話からこれを絶対見て!と言われて家帰って衝撃を受けた森下洋子さんとジョルジュ・ドンのパドドゥ。。。
ピアノの先生はロシア人でバレエが大好きで、娘達が隣村のクリスマスコンサートで先生の生ピアノに合わせながら、2人で7分間のくるみの花ワルを踊る機会も頂いた。
そんなピアノの先生が、
「若い時にこの踊りを見て私感動したのよ。ヨーコって言うバレエダンサーだったはず。」
と。
私の知識不足って言うのがあるのだけど、このモーリス・ベジャール振付の作品を初めて観て衝撃が…。
ジョルジュ・ドンはアルゼンチンで学び、その後はモーリス・ベジャールのもとで踊ることが多かった。エレガントで力強い踊りをボレロで魅せているが、日本のファンの中にも観た人がいるのではないかと思う。1992年に45歳の若さでエイズにより亡くなauのだが、1990年には東京でも最後のボレロを踊っている。
このLightの初演は1981年ブリュッセルで、初演の名前に森下洋子さんの名前がある。
当時の日本のバレエは今のレベルではなかったから1974年のヴァルナ国際バレエコンクールの受賞が、まさに彼女の存在というのが日本のバレエを知らしめるきっかけとなったと言うことに異論はないだろう。
森下洋子さんの素晴らしさを再認識して最近、彼女過去の作品を探し回ってみ続けてる…。
ルドルフ・ヌレエフとの数々の共演って…
凄さを知ってはいたけど、本当にすごい方。
見れば見るほど、彼女の踊りの繊細さに引き込まれる…。
ご自身は戦後すぐの広島で生まれ育ち、お祖母様は被爆者だった…。だから今も平和への祈りを込めて踊ってらっしゃるけれど、ヌレエフが生きていた時代の森下さんの華はちょっと言葉では言い表せないくらい神々しい。
ヌレエフと言えば、1961年、キーロフ・バレエ団の団員として参加したパリ公演後にパリの空港でロシアから亡命し、その後はロイヤル・バレエ団でマゴット・フォンティーンのパートナーとして踊る事が多かった。その後はパリ・オペラ座バレエ団の芸術監督を務め、今も残る多くの作品を残した。
そんなヌレエフと200回近く共演したという森下洋子さん。
1993年1月12日にオペラ・ガルニエ内でヌレエフの葬儀が行われた際にも参加されたという。
この時代に、これだけの技術を持って世界の名だたるダンサーと(対等にと言うか、それ以上って言っても過言じゃないオーラ!)踊ってた方のバレエへの解釈はただならないものだろうし、時代背景を鑑みても、彼女がいたから日本のバレエ界のレベルがここまで上がったのだろうと改めて尊敬の念が込み上げてきた。
宝石のようなと言うか、妖精そのものというか…
技術の高さ、表現力の高さ、この時代に舞台で直接この踊りを観れたらきっと1週間くらいは夢の世界に浸れそう…。
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