ドイツだとかフランスなどのヨーロッパの国々ならフリーランスのバレエダンサーでも生きていく術がある。
社会福祉が整っているし、年金もある。
ロシアも国でバレエは守られている。(今はソ連崩壊前よりは厳しいけれど。)
だから、そういう国でバレエや音楽を芸術家としてやっているのなら、日本との感覚が違うから芸術を芸術として高めて、自分自身も「芸術家」としてそれだけに専念してやっていくことも可能。
ちなみに、画家はワンチャン当たれば、遅咲きでも億単位で収入を得ることができる芸術家。
ピアニストでもフジ子・ヘミングさんのように遅咲きのピアニストで亡くなる直前まで世界中でコンサートをされていた方もいる。
でも、バレエダンサーは…
バレエダンサー人生は極めて短い。(一般的には。)
以前ロシアに住まわれていて、すでに日本に戻ってきてお子さんを育てていらっしゃる一流の日本人バレエダンサーの方が、
「ロシアではバレエというのは大統領の前で踊る崇高で権威ある芸術。」
「ロシア人のスタイル以外の白鳥の湖は見れない。」
だから、日本の今のバレエ界の商業化という方向が間違っているという旨の発言をされていたのだけれど、前提として日本には大統領もいないし、ロシア人ダンサーもいない。
日本にいるのは首相と日本人スタイルの日本人ダンサー。そして、国の政治トップの首相もロシアとは違い、バレエに対する理解はかなり低い。
だから、
「バレエは芸術であるからそれを貶めるようなことをしてはならない」
という類のロシアルールを適用するとかなりややこしいことになる。
第一、給与だって国からもらえるわけではないから、
「私は芸術家です。バレエは芸術だから商用化されるのは間違ってる。」
みたいな考えで日本で一生、ご飯食べていけるのは、それこそ親の脛を齧っていけるだけの財閥のご子息、ご令嬢か何か…。
または、芸術家なので収入とは無縁の世界で生きたいからと言う理由で生活保護を申請するか…。
そのロシアで活躍されてたダンサーも今は日本で舞台を踏みつつ、日本人向けにプロ養成クラスを作って活動されているけれど、結局教室実績のところに、
「生徒の海外留学実績」とある。
はて?それはバレエの商用利用とは言わない?
多分、ロシアの真の芸術家は「生徒の海外留学実績」は気にもせず、自分の芸術にのみ邁進しているような気がする…。
だから、日本でバレエと共に生きるためには望むと望まざると少なからず商用化の波に巻き込まれる事になる。
国によって全てのシステムが違うので、それぞれの国で「バレエ」特に「クラシックバレエ」の扱いが大きく異なる。
今のフランスをはじめヨーロッパはコンテに取って代わられてるから、クラシックは下火のところが多いし、アメリカに至ってはだいぶエンターテイメント要素が強い。
それはどうして?一般のお客さんが好む方へ行かないと、収入を得られないから。
収入が得られないと舞台芸術として成り立つ?
赤字。
誰が負担?芸術性があって、価値があるものを見せればいいというかもしれないけれど、人によって芸術というものの基準が大きく異なる。
日本の舞踏、世界で今もって熱狂的なファンがいるBUTOを日本で1000人規模のホールでやって埋まるとは思えない。でも、海外なら?フランスやアメリカなら埋まるかもしれない…。
価値観が違うから。
故土方巽氏の舞踏は芸術であったし、海外、特にフランスでは特に人気があったけれど、日本でどれだけ多くの人が熱狂してみたいと思ったか…
土方巽氏を知らないと言う日本の芸術家がいたのなら、自ら調べてほしい。
またはパリ日本文化会館の図書館へ行ってほしい。彼の文献の如何に多いことかに驚くと思う。それだけ日本の舞踏(Butoh)はフランスのダンス界に大きな影響を与えてるのに日本での認知度は一部を除いて高くない。
ダンスの歴史は政治と繋がる。
パトロンが多くいた時代もあったし、ルイ14世に気に入られるためだけに踊りを頑張っていた貴族たちも多くいた。だから、当時のフランスのバレエはルイ14世が亡くなると下火になって、その火は徐々にロシアに移動していった。
ここ最近の日本、「財務省解体デモ」がYoutube上に大きく取り上げられてきているなど、今の日本はとにかく不景気。
それでも、なぜか、
バレエ界は頭お花畑の人が多い…
バレエを続けるのに必要なのは???
気合い、根性、健康な身体…そして、お金のはずだけど、なぜかお金の話となると稼げなくて当然と言う人達が大勢いる。
バレエは芸術。すごく分かる。私もバレエは芸術だと思う。
だから、YGPのようなコンクールで小さい子達が見せ物のような(高く足を上げるのを競ったり、回転数を競ったり…)踊りを見るのは好きじゃない。
※YGPそのものが好きじゃないわけじゃなくて、そういう踊りが流行っていると思って先生たちが子供達にそういう踊りを踊らせてるのが好きじゃない。
でも、芸術だから収益はまた別のところで得られれば…なんて言ってたら誰も生活できない。
でも、稼げなくて当たり前をなんとなーく続けてきたのが今の日本のバレエ団の現状。
「踊りたいんでしょ?芸術家なんでしょ?お金の事を言うのは穢らわしいよね。」
日本にバレエが来てから90年代くらいまではそれでどうにか良かったんだと思う。
でも、時代が違う。
今はもう2025年。
日本がめちゃくちゃ景気良かった時代、お金が湯水のように溢れていた時代はとっくの昔、3、40年前に終わってる。
私が思うプロフェッショナルは自分の仕事の対価としてそれなりのお金を頂くこと。
自省論という本の中で、ミケランジェロが言っているのは、
「確かに、この絵は数十分で描きました。しかし、その技術を得るまでに数十年と言う歳月をかけているのです。」と。
ダンサーも同じこと。数十年かけて、弛まない努力を続けて今がある。プロになっても鬼のような努力を続けなくてはいけない。
それでも尚、「お月謝」を取られるのだとしてそれは悲しみでさえある。
芸術家と名乗る以上、自分に見合ったお給料をもらって当然だと私は思うし、日本のバレエダンサーがそのくらいのプライドを持って踊って行けたらいいのではないかと思う。それにはダンサーが受け身でいることを防ぐ必要がある。
芸術を商業化するのは間違ってる!と口先だけで言うのは簡単だし、表面的にはすごく真っ当な意見のように聞こえるけれど、生活の基盤を保障されない国でどれだけの人が「芸術家気取り」だけで生きていけるというのだろう。
日本の土壌はヨーロッパともロシアとも違う。
どちらかと言うと、アメリカ的。
商業的なものはノリがいいが良いから心地がいい。一般の人でも見やすいから劇場に足を運びやすい。
商業的な新しい試みをしている人たちに対してバレエは芸術だからエンターテイメント的な扱いで商業化するのは間違っていると言う意見を日本でダンサーとして生活しようとする人たちに向けるのは間違ってると思う。
自分が雇ったダンサーへ報酬を渡し、ダンサーたちの生活を考えている人たちがいるのだから、本当に素晴らしいことだと思う。
自分と価値観が合わない人がいるのは誰しも一緒。100人いれば100通りの意見があって当たり前。
でも、今のこの時代で
「バレエは芸術だから、エンターテイメントじゃないから品位を下げるような行動を慎め!」
的な表現をするのなら、
それなら自らが芸術家として有能なダンサーたちが「芸術家」として生きられる生活基盤を整えられるようなシステム構築してくれないかと思う。
一人でも多くのダンサーや日本の賢い芸術家が、表面的な綺麗事だけで物事を言うのではなくて、今の日本の政治状況やバレエの在り方を加味した上で今後、どうしたら未来ある子供達の生活が豊かになるか、そう言う前向きな方向で話を進められないものかと問いを立ててみた。
今、読んでる大学の文献の中に、往年のアメリカのタップのスター、フレッド・アステアの言葉があった。
「私は、芸術的な効果の追求を嫌悪する。芸術は追い求めるものではなく、自発的にやってくるものであり、必ずしも人が期待する場所にやってくるわけではない。ゴミ箱を拾う芸術的な方法もあるかもしれないが。」
もちろん、タップダンスはバレエではないから、比較対象が違うという意見もありそうだけれど…。
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