
その22
舞台の空気感がガラッと変わった。
「あ、これが舞台を支配するってことなんだ。」
凜は初めてその意味が分かった気がした。
「なんて大きいんだろう。なんて、軽やかなんだろう。」
観ている誰しもを魅了するような朗らかな表情や繊細な動きは、2 分強の踊りでは到底物足りなかった。
彼女が踊った後の余韻は会場全体を埋め尽くしていた。コンクールの性質上、拍手が出来なかったけれど、心の中では拍手喝采どころか、立ち上がって
「ブラボー!」
と叫びたいくらいだった。
可哀そうなことは、彼女の後に踊った子は確かに上手ではあったけれど、会場の空気が全て高野恋ちゃんに持っていかれた状態だった。
凜自身も、恋ちゃんの後の子の踊りは目には入ってくるけれど、頭には入ってこなかった。
自分が踊る前に、彼女の踊りを観れたらもっとできたのに!という思いが沸き上がってきて、あそこはこうできた、ここはもっとこうできたはず!と、いつの間にか脳内で修正を行っていた。
「よーし!次の全日本グランプリはこのイメージで行くぞー!」と弾みをつけられたことをとても嬉しく思った。
中学生部門が終わる頃、小学生部門の上位入賞者が発表されることになっていた。
「10 位以内なら表彰台に上がれる!」凜は表彰台に上がれる可能性を信じて、今日は早々に掲示板を見に行った。
予選の時同様、すでに黒山の人だかりが掲示板の前に出来ていた。
大きく息を吸って、なくても泣かないと覚悟を決めて少し空いた隙間から白い稿判用紙の番号を確認した。
1. 10.12.20.25.29.38.40.45.58
「あった… 」
もうそれ以上の言葉が出なかった。涙が止まらなくて、ただ茫然と掲示板の前に立ち尽くしていた。我に返って後ろを振り向くとママがやっぱりハンカチで目頭を押さえていた。
そして、凜は笑顔でこう言った。
「帰るの遅くなっちゃうね。」
表彰式までの間、凜は天にも昇るような気持ちで過ごした。表彰式は7 時からだったからその前にご飯を食べることにした。会場は駅とそう遠く離れてはいなかったのでご飯屋さんもそれなりにたくさんあったけれど、凜はとにかく気持ちが高揚していていつもだっ
たらこだわるレストランも、もうどこでも良かった。それでママが、パスタが食べたいというので、珍しくママの意見をそのまま採用して近くのイタリアンレストランに入った。
レストランにはすでに何人かシニョン頭の子達がいた。
「あの子達も表彰台上がる子達なんだ。」と考えると自分もそうだったと胸が高鳴った。
凜はマルゲリータを、ママはサーモンのクリームパスタを注文して料理が来るのを待った。ママは後数週間後に迫る全日本グランプリの話を始めた。
「ワークショップは4 日間で、うち一回はコンテンポラリーね。受けたことないけれど必要な事だからやってみようね。ローザンヌとか観ててもやってるじゃない?それと、ワークショップは全部朝が早いから新宿まで頑張って早起きして4 日間通うわよ!!!」
「家出るの何時?」
「えーとね、ワークショップが10 時からだから、9 時半前には現地についていたいでしょう?だから、途中コンビニ寄ってお昼ご飯買う時間も含めたら8 時出かな。」
「そんなに早くないじゃん!学校行くのと同じ。それにストレッチしたいから7 時半に出ようよ。」
「えー、でも夏休みだよ??」
「そのセリフ、普通大人と子供逆じゃない?凜は全然平気!6 時半に起きればいいんでしょう?そんなに早くないよ、凜的には。」
「えー、ママには早すぎる!!!」
「じゃあ、起こしてあげるから!ちゃんと前の日早く寝てね。」
そう言って2 人で笑った。
ママは年を追うごとに何だか子供っぽくなっている気がするなと凜は思った。それが凜が成長しているからなのかどうかはよく分からなかったけれど、日頃の愚痴も含めて何でも話してくれるようになってきたなと感じていた。
その23
表彰式の時間前に会場に戻った。案内係の人に声をかけられて、上位入賞者か聞かれ頷くと、ママとは別れて凜たち出場者は前列のシートに並ばされた。周りの子達も一様に緊張した面持ちで舞台を真っ直ぐ見つめているだけだった。後ろを振り返ってママを探そうとしたけれど、なかなか見つけることができずに諦めた。
7 時になり、審査員たちが舞台上に姿を現すと凜の胸の高鳴りは最高潮になった。審査員の紹介、挨拶の後にいよいよ小学生部門の発表になった。
凜は両手の平を祈るように胸のまで握りしめていた。
「最初に呼ばれませんように!」
「それでは、小学生部門の発表です。10 位… 。」
凜は目を瞑って声だけを聞いていた。
「7 位、柳木凜さん。」
心の中で、「あ、ここで呼ばれたか… 」と残念に思いつつも笑顔で表彰台に上がった。
表彰台から見る客席の景色は踊っている時とまた違った。衣装ではなく普段着で、トウシューズではなくスニーカーで、舞台の上に立つというのが何とも言えず新鮮だった。
客席にレベランスするために見渡すと、一際大きな動きで拍手を送っている人を見つけた。
ママだった。
凜は嬉しくもあり、恥ずかしくもあったけれど、最高の笑顔でレベランスをした。
表彰式はその後も続き、中学生部門になった。
小学生部門と同じく10 位から名前が呼ばれて行き、その度に舞台上にいる凜たちも拍手を送り続けた。
ついに一位発表で、
「1 位、高野恋さん」
と呼ばれると誰よりも堂々とした歩みで壇上に上がってきた彼女は中学一年生とは思えない風格があった。それはもう何度となく経験していることを伺わせる女王の様な気品だった。それでも凜が驚いたのはとても大きな存在と思っていた恋ちゃんは普通の中学生くらいの身長だった。もちろん周りの誰よりも顔が小さく、手足がほっそりとして長いというのはあるけれど、身長はどこにでもいる中学生だった。
「同じ人間だ。」
凜は自分でそう思えたことが今日一番の大きな発見のような気がしてならなかった。
夜、先生からのLINE をママが見せてくれた。
“入賞してもこれがスタートです。謙虚な気持ちを忘れずに明日から新たな気持ちでレッスンしてください。《昨日の自分を超える!》をモットーに♡”
“はい!今日はありがとうございました。明日からのレッスン、今日の反省を含めて伝えておきます。”
実際、決勝のビデオを見返すと、完璧に出来たと思ったところでも荒があるように思えてならなかった。高野恋ちゃんの踊りを頭に思い描きながらそう思った。たまたま同じ踊りを踊っていただけなのに、なぜだかとても親近感が湧いてきて彼女の様に自分の手足を最大限に使えって、観客を魅了する踊りがしたいと心から思った。
「全日本グランプリまであと少し。今日の反省を生かさないと決勝には絶対に行けない。甘い戦いではないことは十分、分かっているんだから!でも、自分を信じないと!私なら出来るんだっていう信じる心が大事。目標に向かって突き進む!そして、私の踊りを踊る!それが私だから!」
ベッドの中で、もうすでに全日本グランプリに向けて気持ちを切り替えようとしている凜は今までになく心の炎が燃え上がるようだった。
その24
それからの数週間、凜は夏休み返上でレッスンに取り組んだ。足の出し方、立ち方一つ一つをチェックしながら練習に取り組んだ。その都度、高野恋ちゃんの繊細な動きが頭によみがえり、そのイメージを膨らませながら何度も反復した。だから、時折表情が険しくなってしまい、周りの友達も話しかけるのに躊躇するようなオーラを出しているのも気づかないくらい自分の目の前にある道だけを見ていた。ライバルは自分自身。それがよく分かっていた。弱い自分、感情をもっと豊かに、もっと自由に出さないといけないのは分かっているのに抑え込んでしまってなかなか踊っている時に伝わってこない。アクセントが強くなりすぎてもダメだし、弱くてもダメ。
何度練習しても納得いくようにはなかなかできない日々の繰り返しだった。先生からも
「魔のループに嵌っているねー。」
と半ば揶揄われながら練習に勤しんだ。
相変わらずジャンプも上手くない。以前よりはだいぶマシになったって言う事は自分でもわかっている。だけど、ママが撮ってくれるビデオを見返すと自分の踊りに納得いかなかった。寝る前に毎日見ている河野紅さんのそれとは明らかに違っているような気がして、バレリーナの「バ」の字にも届いてないように思えて仕方なかった。
「下手すぎる。」
そう思うと、悔しくていたたまれなくなり、練習する。それなのに脚が言う事を聞かない。背中が思うように動かない。ジレンマに苛まれながら1 日1 日を過ごしていった。全日本グランプリまであと1 週間。焦りが凜を支配し始めた。
「間に合わない、間に合わない。どうしよう。」
惨めな気持ちが押し寄せてきた。寝れない日にはジャンプは少しは跳べるようになってきた。それでもまだまだ足りなかった。力強いけれど、軽さがあるジャンプ。自分の中ではまだまだ程遠かった。
どこをどう使ったらもっと遠くへ、もっと高く跳べるようになるか、凜はそればかりを考えていた。そして、先生からはいつも同じ注意を受ける。
「跳ぶ時は腸骨を立たせて骨盤全体を押し出すように使うの。そして、その時に大事なのが腸腰筋の引き上げ!筋肉をもっと柔らかく引っ張り上げるようにして使わないとダメよ!」
力の入れ方が難しくて、何度やっても自分のものにすることが難しかった。目に涙を浮かべては繰り返し練習をし続けた。
本番2 日前になり、焦りと不安が押し寄せてくる。
「このまま落ち着いてやることが大事。焦っても実力以上の事は出てこないんだから!」
と、先生は言うけれど、未だに自分が理想とする踊りができない事が悔しくてたまらなかった。
残り僅かしかないコンクールレッスンでも、いざ踊ろうとすると、先生がすぐさま遮った。
「凜ちゃん、頼むからその表情いい加減に止めて!思いつめた表情のスワニルダ、誰が見たいと思う?舞台に上がったら自分がどこにいて、どういう気持ちで踊っているか、切り替えなくちゃだめ!それが出来ないのなら、もう出場取り消して!誰も見たくない!そんな怖い表情の踊りは!前も言ったけど、審査員の先生方に失礼すぎる!」
そう言い放ったナナ先生の表情は鬼気迫るものがあった。
「それで?どうするの?やるの?辞めるの?」
完全にイライラしているのが感じ取れた。見たこともないような無表情こちらを見る先生が怖かった。
